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ベルント・シュナイダー (サッカー選手)
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概要
ベルント・シュナイダーBernd Schneider1973年11月17日 - )は、ドイツ(旧東ドイツ)・イェーナ出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

ブンデスリーガ2部のFCカールツァイス・イェーナでプロデビューした後、1998年に1部のアイントラハト・フランクフルトへ移籍。初戦でデビューを飾り33試合に出場したが、チーム自体は2部降格こそ免れたものの15位と低迷した。

1999年にはバイエル・レバークーゼンへ移籍。レギュラーを不動のものとすると、ミヒャエル・バラックイェンス・ノヴォトニーらと共にチームに欠かすことの出来ない選手となり、1999-00シーズンと2001-02シーズンのブンデスリーガ準優勝、2001-02シーズンUEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献。2003-04シーズンのブンデスリーガでは自身最多となる10得点を記録した。

ドイツ代表としては1999年7月28日FIFAコンフェデレーションズカップ1999ニュージーランド戦でデビューを飾るが、2000年UEFA欧州選手権2000メンバーからは落選し、不遇の時代を過ごした。

2001年ルディ・フェラーに才能を見出されて、ワールドカップ・日韓大会欧州予選のウクライナとのプレーオフにて久々ピッチに立つと本大会出場権獲得に貢献。迎えた2002年のワールドカップ本大会では全試合にスタメン出場し、1次リーグのサウジアラビア戦では1得点を決める活躍などで準優勝に貢献した。

その後もユルゲン・クリンスマンヨアヒム・レーヴと監督が代替わりした後も主力選手として活躍。2004年UEFA欧州選手権2004、地元開催となった2006年ワールドカップ・ドイツ大会にも出場した。しかし2008年UEFA欧州選手権2008は、椎間板ヘルニアのため欠場となった。シュナイダーはこの年を最後に代表から退くまで国際Aマッチ81試合に出場し4得点を記録した。

長期に渡りクラブ、代表で活躍した息の長い選手だったが、2008-09シーズンを以って慢性的な背骨の痛みの為引退した[1]

引退後は古巣のカールツァイス・イェーナで会長を務めるペーター・シュライバーのアドバイザーと、バイエル・レバークーゼンのスカウトを務めることになった[2]

人物[編集]

20代の頃は器用な足技を生かし緩急を付けたボールコントロールや、鋭く正確なクロスで「白いブラジル人」の異名をとった[3]。その後は右サイドハーフだけでなく、左右サイドバック、トップ下、ボランチ、ウイングもこなすユーティリティプレーヤーへと変化を遂げた。高い戦術理解度を持つことから重用され、たびたびキャプテンも務めた。キックの精度の高さからフリーキックを任される事も多かった。

エピソード[編集]

2002年の日韓ワールドカップではドイツからプレイステーションを持ち込み、ホテルでプレーしようとしたが、上手くいかずフロントに苦情を言ったことがある(日本とヨーロッパでは互換性がなかったため)。
趣味は繋駕速歩競走観戦。
プロサッカー選手としては珍しく、ヘビースモーカーであった。

代表歴[編集]

ドイツ代表 1999-2008
代表デビュー:1999年7月28日
代表通算:81試合出場 4得点
ワールドカップ・日韓大会出場 7試合1得点
ワールドカップ・ドイツ大会出場 7試合

脚注[編集]

外部リンク[編集]

Career statistics at Fussballdaten (ドイツ語)
公式ホームページ(ドイツ語)
出典:Wikipedia
2020/03/21 14:32
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