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ベルリン会議 (1878年)
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4.影響
4.1.ビスマルク体制下
ロシアはこれ以降、サン・ステファノ条約修正を不服とし三帝同盟を脱退した。ただし、ドイツのビスマルクはフランスとロシアに対する二正面作戦を避けるために、ロシアと独露再保障条約を締結している。

ビスマルクは"誠実な仲介人"を自称し中立を宣言していたが、ベルリン条約でロシアが得た利益を認めたものの、ロシア南下政策を否定するイギリスを終始支持した。ドイツは、1882年三国同盟を結成してフランスを孤立化させ、1885年に日本にメッケルを派遣してロシアの東アジア進出を牽制し、狙い通り日露戦争でロシアの進出を阻むことに成功した。

セルビアはサン・ステファノ条約で得た領土が維持されることを期待していたが、頼みの綱であるロシアは会議のあいだセルビアに対し冷淡な態度をとりつづけた。このため、会議後セルビアはオーストリア・ハンガリーに接近していった。

またテッサリアの帰属を巡るギリシャ・トルコ間の国境紛争については解決が図られなかった。1881年にテッサリアとイピロス南部の一部がギリシャ領となった。

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(3.出席者)
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(4.2.ビスマルクの引退後)
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出典:Wikipedia
2019/01/10 07:30
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