ベルリンの壁崩壊
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6.壁崩壊の影響
6.5.ベルリンの壁のその後
壁の倒壊後、壁自体が変貌した。破壊された壁の断片が盛んに取引され始め、東ドイツの末期の最大の輸出ヒット商品となった。ハンマーと鑿で東ドイツ政府が所有する建造物に叩きつけて破片を持ち去る人が後を絶たず、東ドイツは壁は民主共和国の人民財産であるとして無秩序な壁の破片の売り出しの阻止に動いた。

そして民主共和国の貿易商社に壁の商品化を委任し、真贋証明書を発行して売り出し、その販売利益で国の健康保険制度を立て直す予定をしたが、やがて国自体が消滅した[191]

それでも60トンの「ベルリンの壁のパーツ」が海路でアメリカに運ばれ、ボストンとシカゴのラジオ局が「自由の石塊」として破格の安値30ドル売り出した。多数の西ドイツ人が数千ドイツマルクで壁の一区画をそっくり買い取った。ロンドンの競売所がモンテカルロで大量の壁区画延べ100mを一区画当たり最高で3万ドイツマルクで競売にかけ200万ドイツマルクを荒稼ぎした。購入者の中には「鉄のカーテン」という言葉を作ったイギリスの元首相のウィンストン・チャーチルの孫娘もいた[192]

その後には、ベルリン市がベルリンを表敬訪問した外国の賓客に壁の残骸をプレゼントし、世界中に配った。その中にはロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュのアメリカ大統領の名もあった。しかし国の消滅とともに無秩序になり、壁破砕装置を使って多くの場所でたちまち粉砕されて道路建設の基盤材として使われ、東西間の道路網に敷かれたりした[193]

往時の壁の95%以上は壁撤去時に破壊されて、わずか数百の壁区画がそのまま保存され、ベルリンのいろんな場所に総延長1.5キロの壁が存在するだけで大半が失われている[194]

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出典:Wikipedia
2020/01/06 02:00
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