ベーブ・ルース
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1.経歴
1.3.プロ入り
1913年、野球部のエースとして君臨していたルースの活躍は、偶然試合を見に来ていたジョー・エンジェルの目に留まる。ワシントン・セネターズの投手であったエンジェルは、すぐにボルチモア・オリオールズ(現在のオリオールズ球団とは無関係であり、当時はマイナーリーグチーム)のオーナー兼監督のジャック・ダンにルースを紹介した。その場でルースの練習風景を30分ほど見たダンは、即座に年給600ドル(現在の金銭価値に換算すると約6万6000ドル)の契約を結ぶ。これは1914年2月14日、ルースが19歳の時のことであった。ルースはこの時のことについて、「もともと仕立て屋として就職する予定であり、手先が大事な仕事だから、(手を痛めることが大いにありえる)野球はもう辞めようと決意していただけに、感極まりないうれしさがあった」と語っている。

外部から隔離された全寮制の矯正学校での生活が長かったためか、世間知らずで子供じみた所のあったルースは、早速チームメイト達から「ジャック(・ダン)の新しいベーブ(赤ちゃん)」と揶揄されるようになる。この時の「ベーブ」というあだ名は、生涯残る事になり、以後「ベーブ・ルース」として周りから呼ばれるようになった。なお、オリオールズ時代以降のチームメイトは「ベーブ」を意図的に避け、「ジョージ」「ジッヂ」「バム」などと呼んでいたりした。

1914年7月7日、ダンはルースを他の2名の選手とセットにして、金銭トレードに出す計画を立てていた。相手チームはフィラデルフィア・アスレチックスであった。しかし、ダンが要求していた1万ドル(現在の金銭価値に換算すると22万ドル)という額により、交渉は決裂。オリオールズが業務提携を結んでいたシンシナティ・レッズとも決裂した。

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出典:Wikipedia
2019/10/06 15:30
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