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プトレマイオス5世
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1.生涯
紀元前210年ごろ、プトレマイオス4世と彼の妹アルシノエ3世の子としてアレクサンドリアで生まれる[1]。誕生してしばらくすると、プトレマイオス5世はプトレマイオス4世の共同統治者として、王位に就いた。
プトレマイオス4世が急死し、母アルシノエ3世も廷臣たちにより暗殺されると、アルシノエ3世を毒殺した廷臣ソシビオスとアガトクレスが幼少のプトレマイオス5世を擁立した[2]。ソシビオス、アガトクレスらが後見人として権勢を振るうが、やがて彼らに疑いの目が向けられる[2]紀元前202年、アガトクレス達に対してペルシオンの知事トレポレモスが反乱を起こしてアガトクレスは虐殺され、プトレマイオス5世が正式に即位した。
プトレマイオス4世時代以来のエジプトとセレウコス朝シリアとの戦争は彼の時代にも続き、第五次シリア戦争(紀元前202年 - 紀元前195年)が起こった。シリアのアンティオコス3世(大王)はマケドニア王国ピリッポス5世とプトレマイオス朝がエジプト外に有する領土の分割を協議し、2つの国は連携してアナトリア半島やシリアに存在するプトレマイオス朝の支配地を攻撃した[1]紀元前200年のパニオンの戦いにおいて、エジプト軍は大敗して多くの領土を失い、東方貿易の中継地点である南シリアの喪失は王朝の経済に大きな痛手を与えた[1]。収入の低下によって農民に課された重税は反乱の原因となり、紀元前188年から紀元前184年にかけて発生した農民反乱はエジプトのほぼ全域に及ぶものとなった[1]
紀元前193年にシリアとの間に和平が成立し、プトレマイオスはアンティオコス3世の娘クレオパトラ1世と結婚する。婚資として南シリアの支配権がエジプトに返還されたが名目のみに過ぎず、アンティオコス3世が事実上の南シリアの所有者であり続けた。クレオパトラとの結婚によってエジプトはシリアからの内政干渉を受けるようになり、プトレマイオス5世は東地中海に進出しつつあったローマに支援を求めた[1]。また、エジプトを破ったシリアとマケドニアはローマとの戦争に敗北し、地中海世界東部におけるローマの影響力が増していく[1]
クレオパトラ1世との間にはプトレマイオス6世フィロメトルら2人の息子と1人の娘が生まれた[2]。彼の死後、クレオパトラ1世が摂政に就任し、シリアとの友好関係構築に努めた。
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(2.政策)

1. 屋形「プトレマイオス5世」『世界伝記大事典 世界編』8巻、472-473頁
2. クレイトン『古代エジプトファラオ歴代誌』、270-271頁

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出典:Wikipedia
2017/07/02 15:02
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