プロレス
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4.プロレスの歴史
4.4.日本におけるプロレスの歴史

戦前[編集]


最初の日本人レスラーはソラキチ・マツダとされている[19][20]。初の世界王者は世界ジュニア・ウェルター級王者となったマティ・マツダ(1921年)[21]。戦前にはハワイでキラー・シクマ(志熊俊一)が日本人初の重量級レスラーとして活躍したことが、プロレス系の個人サイトに遺族が投稿したのを機に近年、明らかになった(後に週刊ゴングで漫画化されている)。その他に数名の日本人、日系人が主にアメリカでレスラーとして活動していたことが確認されている。

マツダとともにレスラーとして活躍した三国山は帰国後の1887年に東京の銀座で「西洋大角力」を開催しており、これが日本初のプロレス興行とされている。しかし観客は集まらず失敗に終わっている。

1921年にアメリカのプロレスラー、アド・サンテルが弟子のヘンリー・ウェーバーを連れて来日し、講道館柔道に対戦を要求。講道館は対戦を拒否したが、系列の弘誠館が受けてたち、永田礼次郎、庄司彦雄、増田宗太郎、清水一の4名の柔道家が対戦。今で言う異種格闘技戦であり、試合は東京の九段の靖国神社相撲場で3月5日と6日の両日に行われている。なお、この試合に関しては「プロレス対柔道」のタイトルで週刊少年ジャンプにて漫画化されている[22]

日本の大手プロレス団体は力道山がデビューした1951年を日本におけるプロレス元年としている。プロレス興行が根付いたのは戦後に力道山が1953年日本プロレスを旗揚げしてからのことである。しかし戦前にもいくつかのプロレス興行があったことが確認されている。また、戦後連合国軍最高司令官総司令部GHQ/SCAPによる武道の禁止指令により柔道が禁止されていたため柔道家の牛島辰熊が1950年2月に国際柔道協会(プロ柔道)を設立して木村政彦山口利夫、坂部保幸らが参加したプロ柔道として力道山より早くプロ柔道興行を始めていたが4か月10回の興行後は木村政彦、山口利夫、坂部保幸が日本プロレスに移籍して最終的には力道山の手によって統一される。戦後間もない頃で多くの日本人が反米感情を募らせていた背景から、力道山が外国人レスラーを空手チョップで痛快になぎ倒す姿は街頭テレビを見る群集の心を大いに掴みプロ野球大相撲と並び国民的な人気を獲得。

昭和後期、BI砲の時代[編集]


その後、日本においては力道山の率いる日本プロレスの独占市場であったが、力道山の死去後、東京プロレス国際プロレス(いずれも現在は消滅)が相次いで旗揚げして、さらに力道山の死去後の日本のプロレスを支えていたアントニオ猪木が新日本プロレスを、そしてジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げして両エースを失った日本プロレスは崩壊する。しばらくの間は上記の2団体と当時は健在だった国際プロレス、そして女子プロレス団体である全日本女子プロレスの4団体時代が続くことになる。1970年代以降、猪木はプロレス最強を掲げてウィレム・ルスカモハメド・アリらと異種格闘技戦を行い、馬場もNWAとのコネクションから多くの大物外国人レスラーを招聘しそれぞれ人気を獲得。国際プロレスもヨーロッパ路線とデスマッチ路線を展開して独自のファン層を開拓。

1980年代に入ると馬場の弟子であるジャンボ鶴田天龍源一郎、猪木の弟子である藤波辰巳長州力らいわゆる鶴藤長天が台頭する。また、新日本では佐山聡タイガーマスクとしてデビューして、それまでヘビー級の過渡期として位置付けられていたジュニアヘビー級をヘビー級から独立した独自のカテゴリーとして、その礎を築いた他、子供層の取り込みに成功して、人気を更に増した。1984年にはUWFが旗揚げされ、ショー的要素を排除したシュートスタイルのプロレスを確立して、後の総合格闘技の台頭への布石となった。

平成期 - プロレス人気の低迷と団体乱立[編集]


1988年には大仁田厚FMWを旗揚げ。デスマッチを主体とした興行で成功を収めてインディー団体というカテゴリーを確立。この団体は同時に「ハードコア・レスリング」の世界的なパイオニアという側面を持ってもいた。

1990年代に入るとFMWの成功を受けて多くのインディー団体が相次いで旗揚げされて団体乱立の時代を迎えた。この頃から馬場、猪木が第一線を退きプロレス人気に翳りが見えるようになった。それまでゴールデンタイムで中継されていたプロレス中継は深夜帯へと移動してジャンルのマニアック化が進む。一方、興行面では東京ドームなどの大会場の使用が進んだこともあって観客動員においては最高潮を迎えた。この頃からアメリカンプロレスがテレビ主導の興行に切り替えを行ったため外国人レスラーの招聘が困難になり日本のプロレスは日本人レスラー同士の闘いに重点を置くようになった。

新日本では闘魂三銃士蝶野正洋武藤敬司橋本真也)、全日本ではプロレス四天王三沢光晴川田利明田上明小橋健太)が台頭して後にまで業界を牽引してゆく。一方、第2次UWFUWFインターナショナルプロフェッショナルレスリング藤原組リングスに分裂(藤原組はその後さらにパンクラス格闘探偵団バトラーツに分裂)して細分化が進む。1990年代後半に入るとK-1PRIDEなど総合格闘技が台頭し、それまでプロレスが請け負っていた異種格闘技としての側面を奪われる形となった。古くからアントニオ猪木が「プロレス最強」を掲げていた背景から、これを受けて多くのプロレスラーが総合のリングに参戦するが準備期間の短さなどから結果を残したレスラーは少なく人気低迷に拍車をかけた。一方で、UWFインター、キングダム出身の桜庭和志や新日本プロレス出身の藤田和之など、総合格闘技のリングで大変優秀な戦績を収めた者もいる。

1997年にJWP女子プロレスプラム麻里子が試合中の事故により死亡。日本プロレス史上、初めてのリング禍であった。

2000年代 - メジャー団体分裂による勢力再編[編集]


2000年代に入ると日本のプロレス界の勢力が一変した。全日本では馬場の死後は社長に就いた三沢光晴と馬場の未亡人として経営の権限を持つ馬場元子が団体運営を巡って対立し、三沢は殆どの所属選手と共に団体を退団してプロレスリング・ノアを旗揚げ。新日本でも、橋本真也が団体を解雇されて新たにプロレスリングZERO-ONEを旗揚げして新たな4団体時代を迎えた。一方で、所属選手の殆どを失った全日本は団体存続をかけて新日本との交流に踏み切ることにした。2002年武藤敬司が新日本を退団して全日本に移籍、同年10月に同団体の社長に就任する。メジャー団体とインディー団体の交流は1990年代から頻繁に行われていたが2000年代以降はメジャー団体同士の交流が盛んに行われている。この頃からWWEが日本でも人気を博して、その流れを受けてファンタジーファイトWRESTLE-1ハッスルDDTプロレスリングなどエンターテインメント志向のプロレス興行が行われるようになった。2006年には国内初のプロレス統一機構の確立を目指しグローバル・レスリング連盟が発足したが、わずか1年で連盟としての活動は途絶えている。2000年代前半はいわゆる第三世代が台頭するが、人気面で上の世代である三銃士、四天王を凌駕することはできず依然として旧世代が興行の中心を担う形となった。しかし、2005年に橋本が、2009年に三沢が急逝し他の三銃士、四天王も退団や負傷欠場などによって定期参戦がままならない状態となり、さらに2000年代後半からは第三世代の下にあたる第四世代とも言える新世代の台頭が著しくなり各団体の勢力図が変革されていった。

現在[編集]


2011年には東日本大震災復興支援を目的として新日本、全日本、ノアによる合同興行ALL TOGETHERが開催され、翌2012年には新日本・全日本が旗揚げ40周年記念興行を合同で開催するなど団体同士の連携を強めている。2000年代に低迷してゲーム会社のユークスの傘下となっていた新日本プロレスは2012年にエンターテイメント企業「ブシロード」の子会社となり同社のコンテンツビジネスとの連携を深め、観客数と売り上げを大きく増やし、2016年には団体史上最高額の事業利益を達成している。ノアは三沢亡き後の団体をまとめきれず主力選手の離脱が相次いでいる。ノアを離脱した秋山準らはベンチャー企業のスピードパートナーズ(後の八丁堀投資)の傘下となっていた古巣の全日本に復帰する。しかし全日本のオーナーとなったスピードパートナーズ社長(当時)の白石伸生の運営に反発した武藤らが全日本を退団して、新たにWRESTLE-1を旗揚げ。一方、全日本は親会社の経営破綻により秋山を社長とした新体制で再出発。各団体で主力選手の退団、移籍が発生した他、インディー団体出身のレスラーによる地方団体旗上げが相次ぐなど、細分化も進んでいる。また現在、日本のプロレス市場はWWEを始めとする海外団体が強く関心を寄せており中邑真輔小林健太戸澤陽らがWWEへ進出した他、新日本やDRAGON GATEに参戦していた外国人選手が相次いでWWEへ移籍しており、WWE進出を狙う選手やWWEを解雇された選手が相次いで日本の団体に参戦するなど、移籍市場として一定の価値を獲得している。

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出典:Wikipedia
2019/07/11 04:30
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