ブルガリア正教会
▼人気記事ランキング
4.歴史
4.3.独立正教会位の獲得 (総主教庁)
ビザンティン帝国(東ローマ帝国)に対するアヘロイの戦い(Battle of Acheloos、今のポモリエの近くで行われたもの)とカタシルタイの戦い(Battle of Katasyrtai)における二つの決定的な勝利の後、ブルガリア国家は、919年に開催された教会および国家会議において、自治正教会としてのブルガリア大主教区を独立正教会とし、首座を総主教位に昇格させる事を宣言した。ブルガリアとビザンティン帝国の間で、20年間の長きにわたる戦争を終わらせる和平が927年に締結された後、コンスタンディヌーポリ総主教庁はブルガリア正教会の独立正教会としての地位と総主教位を承認した[2][3]。ブルガリア総主教庁ははじめてのスラヴ系独立正教会であった。これはセルビア正教会の独立正教会位獲得の1219年より約300年、ロシア正教会の独立正教会位獲得の1596年より約600年早い。また、ローマコンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル)エルサレムアレクサンドリアアンティオキアに続く、6番目の総主教区でもある。総主教座は新しいブルガリアの首都であるプレスラフに置かれた。総主教は致命者と伝統により古いキリスト教の中心地であったドラスタル(シリストラ)に居住する傾向があった。

[4]前ページ
(4.2.設立)
[6]次ページ
(4.4.オフリド大主教区)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/02/28 18:30
ソ人気記事ランキング
2019/10/14 更新
 1位日本
 2位狩野川台風
 3位ジョンベネ殺害事件
 4位三浦和義
 5位10月13日
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant