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フランコ体制下のスペイン
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3.第二次世界大戦
こうしたフランコ政権の中で最も有力なファシストがフランコの義弟ラモン・セラーノ・スニェール英語版であった[7]。セラーノはファランヘ党の書記長、内相を務め、1940年からは外相となった。また第二次世界大戦においては枢軸国への接近を主張し、1940年のフランコ・ヒトラーのアンダイエ会談スペイン語版を実現させた。ヒトラーはスペインの参戦を求め、フランコも一時はこれに同意した[8]。しかしその後は言を左右にして参戦を拒み、中立国ではあるものの親枢軸国側である「非交戦」国家として振る舞った[9]

スペインは諜報活動などで枢軸国側に便宜を図ったものの、これは原油の一大輸入先であるアメリカの怒りを買った。アメリカはスペインへの石油禁輸を行って圧力を加え、枢軸側への資源売却が監視されるようになった[10]。その後枢軸側の退勢が明らかになる1942年には、フランコは枢軸国側を見切る方針を固めた。セラーノはすべてのポストから解任されて失脚した[7]。体制が揺らぐ中、1943年9月15日には王党派の中将8名が王政復古を求める意見書をフランコに提出するという事件が起きた[11]

1944年には連合国の圧力により諜報支援も打ち切られた[10]日本の降伏後、駐米スペイン大使が祝辞を述べに国務省を訪れたが、これに高官が対応することはなかった[12]

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出典:Wikipedia
2019/12/17 14:32
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