ビートたけし
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2.来歴
2.7.漫才ブーム以後
漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、パーソナリティを軸とした芸風に移行していく。

1981年(昭和56年)元旦からニッポン放送NRN系のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。

1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)にかけて、番組出演中に弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為“ボーヤ”と呼ばれる)が押しかけ、相当の数が集まった事(たけし軍団)から、集団で行うバラエティを模索。日本テレビ『スーパージョッキー』、TBS笑ってポン!』等が始まった。また、博識が評価されて、毎日放送世界まるごとHOWマッチ』等で文化人的な出演要請も増えた。

天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ)
ビートたけしのスポーツ大将テレビ朝日
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城 (TBS)
OH!たけし(日本テレビ)
世界まるごとHOWマッチ(毎日放送
オレたちひょうきん族(フジテレビ)
オールナイトニッポン(ニッポン放送)
上記は、1985年(昭和60年)当時のレギュラー番組すべてであるが、このうち日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマークした。なお、『たけし城』『元気』『スポーツ大将』は、全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。

その他、放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、ファミリーコンピュータのゲーム企画も行った。この頃より、タモリ・明石家さんまと共に、「日本のお笑いタレントBIG3」と称されることとなった。

1986年(昭和61年)12月、たけし軍団の軍団員とともに講談社フライデー編集部を襲撃、住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕される。この事件によって写真週刊誌の行き過ぎた取材が問題視され当時の官房長官がコメントを出すなど社会現象になった。

1994年(平成6年)8月、バイクによる自損事故を起こし重傷を負う。(詳細は後述)

漫才を披露する事はほとんどなくなったが、かつてはTVでは島田洋七との「B & Beat」で、稀に弟子のライブに飛び入りで相方ビートきよしとの「ツービート」として、漫才を披露することがある[22]

過去に4回「クイズ$ミリオネア」に挑戦した。

2回目は1人で100万円獲得(テレフォン3回使用)。
3回目は15問連続正解で1000万円を獲得した。
4回目は9問正解で10万円獲得した(テレフォン2回使用)。
2014年10月27日、約30年ぶりとなる単独ライブを渋谷のCBGKシブゲキ!!にて開催。ライブのタイトルは「たけしが毎週ニュースキャスターの楽屋で、朝ズバッ!なんかで使ったパネルを勝手に拝借して、イタズラ書きをしてはニュースキャスター後のS1でTBSに来ていた、爆笑問題田中の楽屋にそっと置いていたパネルが溜まったのでテレビでお披露目しようとしたら、何処の局からも相手されなくて、仕方なくLIVEでお披露目することになった、たけし的スライドショーなLIVE」[23]。約200席のプレミアライブは約1分で即完売となった[24]

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出典:Wikipedia
2018/10/16 13:31
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