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バプテスト教会
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2.歴史
2.3.日本
日本のバプテストは、プロテスタント諸教派の中でも比較的早くに成立している。歴史的事情とりわけ宣教師を派遣している宣ヘ母体により、幾つかの組織に分かれる。

1873年(明治6年)にアメリカ・バプテスト宣教連合(後「北部バプテスト」)は、ネイサン・ブラウンジョナサン・ゴーブル両宣教師を日本に派遣している。同年に、横浜第一浸礼教会(現在、日本バプテスト横浜教会)が設立される。これは、日本における2番目のプロテスタント教会となる。1884年には横浜バプテスト神学校(現在の関東学院大学の母体)を設立する。この流れは、現在の日本バプテスト同盟教団新生会につながっている。

1878年(明治11年)にイギリスのバプテストの宣教団体であるイギリス・バプテスト伝道会社(BMS World Mission)は日本教区を設立する。そして、その年の12月に、W・J・ホワイトが日本に派遣される。1886年にイーヴィスが派遣され、アメリカ・バプテスト宣教連合と協力して日本宣教を行う。1890年(明治23年)、アフリカ伝道に専念するために、日本宣教を打ち切り、日本教区を、アメリカ・バプテスト宣教連合の教区と統合する。

南部バプテスト連盟からは1889年(明治22年)に初めて、マッコーラム、ブランソンの二宣教師が来日している。これに先立ち1860年に日本に宣教師が派遣されるが、太平洋上で難破して行方不明となっている。来日している二人とその家族は神戸に上陸して日本語を学習して、九州を中心に宣教している。又1916年(大正5年)には宣教師C. K. ドージャーが、福岡キリスト教主義学校西南学院(現在の西南学院大学の母体)を設立している。これは、現在の日本バプテスト連盟につながっている。

1941年(昭和16年)に日米開戦の見込みが深まる中で、主にアメリカ合衆国籍の宣教師逹は帰国してゆく。最後まで留まった者(ドージャー)も、1942年に(昭和17年)は捕虜交換船で帰国している。しかし、日本に留まった宣教師もおり、終戦まで軟禁状態に置かれていた。

1941年に日本の国策により教会合同がなされて、プロテスタントの諸教派の多くは日本基督教団に合流してゆく(バプテストは、第四部)。これは日本の敗戦後も続くが、1947年(昭和22年)に南部バプテスト連盟系の旧日本バプテスト西部組合加盟教会の内16個が離れて「日本バプテスト連盟」を結成している。1958年(昭和33年)には、アメリカン・バプテスト系の旧日本バプテスト東部組合加盟教会の一部も離れて「日本バプテスト同盟」を結成する。日基教団内に残っている北部バプテスト同盟系の旧日本バプテスト東部組合加盟教会は、日本基督教団内の一グループとして「教団新生会」を結成している。

沖縄県には1891年(明治24年)、現在の米国バプテスト同盟により伝道師として原三千之助と岡本勇とが派遣されて教会や講義所が建設される。これらの建物は、沖縄戦の中で失われている。戦いの後に教会等は再建や新設されて、1955年(昭和30年)には「沖縄バプテスト連盟」が結成される。沖縄バプテスト連盟の発展には米国バプテスト同盟と日本バプテスト同盟の他にも、南部バプテスト連盟や日本バプテスト連盟の支援を受けている。その為に1970年(昭和45年)には、両系列団体の了解を得てどちらにも所属しないことを決議してそれぞれと関係を保ちつつ独立のバプテスト教派グループとして存続している。

これらの流れとは別に、バプテストを称する群れには日本バプテスト・バイブル・フェローシップ等が在る。これは1949年に、米国バプテスト・バイブル・フェローシップ諸教会から宣教師が派遣されて始まったものである。他には、日本バプテスト連合保守バプテスト同盟単立バプテスト・日本福音同盟に加盟している日本バプテスト教会連合等が在る。

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出典:Wikipedia
2020/02/15 00:00
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