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バイエルン大公
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1.歴史
1.1.ヴィッテルスバッハ以前
バイエルン大公は907年頃、バイエルンの在地貴族ルイトポルト家アルヌルフがバイエルン地域を統合し、東フランク王(ドイツ王)コンラート1世からその支配権を承認されて成立した。947年ザクセンリウドルフィング家出身である東フランク王オットー1世はルイトポルト家の大公ベルトルトの死に乗じ、アルヌルフの婿でもある自身の弟ハインリヒ1世をバイエルン大公位につけ、以降からバイエルン公はリウドルフィング家のものとなった。

ハインリヒ1世の子ハインリヒ2世(喧嘩公)はハンガリー国王イシュトヴァーン1世に娘ギーゼラを嫁がせて、姻戚関係となり勢力を拡大した。976年、従兄のローマ皇帝オットー2世に対して反乱を起こした。ハインリヒ2世は廃位され、バイエルン大公領から東部がオーストリア辺境伯領として分離させられた。但し、ハインリヒ2世は後に復位している。

その後は、バイエルンがイタリアに進出する上での要衝であったこともあって、1096年まで大公位が1つの家に長く保持されることはなかった。

しかし1070年以降は、2度の中断があったもののヴェルフ家が5代110年にわたってバイエルン大公位を保持した。ハインリヒ12世(獅子公)は後にザクセン大公位をも獲得し、ドイツ国内の反ホーエンシュタウフェン朝勢力の領袖へと成長した。1198年には子のオットーはローマ王位(ドイツ王位)をも獲得する。しかしバイエルン大公位は1180年ヴィッテルスバッハ家に与えられ、以降同家が世襲することとなった。

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(1.2.ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公)
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出典:Wikipedia
2019/12/01 16:32
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