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バルセロナ
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1931年の国際オリンピック委員会(IOC)総会では1936年の夏季オリンピック開催地が決定され、下馬評ではバルセロナが有力だったもののドイツのベルリンに敗れた[25]ナチス・ドイツアドルフ・ヒトラー総統はベルリンオリンピックを政治利用しようとしたため、対抗してほぼ同時期にバルセロナで人民オリンピックの開催が企画された[25]。カタルーニャ自治政府に加えてスペイン共和国政府も支援し、23か国から約6,000人の選手が人民オリンピックに参加を申し込んでいる[25]。しかし、開会式当日の7月19日にスペイン内戦が勃発したことで人民オリンピックは中止を余儀なくされた[25]。それから56年後、カタルーニャ人のフアン・アントニオ・サマランチがIOC会長を務めていた1992年に、カタルーニャ色を強く出したバルセロナオリンピックが開催された[25]

FCバルセロナは数多くの競技チームを持つ総合スポーツクラブであり、バスケットボールチームハンドボールチームもスペインリーグの強豪であるほか、サッカー部門は世界戦略を展開する強豪クラブである[26]。マドリードに本拠地を置くレアル・マドリードとライバル関係にあり、両者の対戦はエル・クラシコと呼ばれる。カタルーニャ人にとってFCバルセロナは単なるスポーツクラブに留まらず[26]、クラブの歴史はカタルーニャの歴史と重ね合わされる存在である[27]。ホームスタジアムであるカンプ・ノウは、フランコ体制下でカタルーニャ語の使用が許可された唯一の場所であり、エル・クラシコはカタルーニャと中央政府の代理戦争の意味合いを呈した[28]。FCバルセロナはソシオと呼ばれる会員によって運営されていることが特徴である[29]

バルセロナにはFCバルセロナの他にRCDエスパニョールというサッカークラブもあり、1930年代初頭のミゲル・プリモ・デ・リベラ独裁時代には独裁体制を支持した歴史がFCバルセロナとは異なる[30]

1834年にはアル・トリン闘牛場が、19世紀末にはより規模の大きなアレーナス闘牛場スペイン語版が、1914年にはアル・スポルト闘牛場(後のムヌマンタル闘牛場スペイン語版)が建設された[31]。20世紀初頭のバルセロナは3つの闘牛場を有する一大闘牛都市であり、その後スペイン内戦からフランコ体制下を経た1970年代まで、ムヌマンタル闘牛場は世界最高の闘牛場だった[31]

レジャーの多様化、スペイン文化の象徴である闘牛ではないカタルーニャ文化の見直しなどの要因により、1970年代半ばからカタルーニャ地方で闘牛は衰退しはじめた[31]。子供の観戦や闘牛場の新設が禁止されたほか、1989年以降には反闘牛都市宣言を行う自治体が増えた[31]。2009年にはカタルーニャ共和主義左翼(ERC)を中心として闘牛禁止法案がカタルーニャ州議会に提出され、2010年にはこの法案が可決された[31]。ERC、カタルーニャ緑のイニシアティブがこの法案に賛成票を投じ、カタルーニャ国民党スペイン語版シウダダノスが反対票を投じ、集中と統一やカタルーニャ社会党は党内でも票が割れた[31]。2011年にはアレーナス闘牛場がショッピングセンターに生まれ変わり[31]、カタルーニャ州の闘牛禁止法は2012年1月1日に施行された[32]

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出典:Wikipedia
2020/02/15 07:00
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