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バーブル
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1.生涯
1.7.晩年
1529年秋にフマーユーンが任地のバダフシャーンを離れてインドに移動し、バーブルはフマーユーンに東方への遠征を命じた。1530年春頃、重病に罹ったフマーユーンが遠征先からアーグラに移送される[96]。バーブルはフマーユーンの回復を祈祷して自らの命を奉げる儀式を行い、フマーユーンの病状は回復したと伝えられている[2][97][98][99][100]。フマーユーンが回復して間もなく、1530年12月26日にバーブルはアーグラで没した[2][101]

バーブルの在位期間は短く、国家の基盤は整備されないまま、フマーユーンが王位を継承した[102][103]。フマーユーンは側近の助言に従ってバーブルの死を秘匿し、バーブルはメッカ巡礼に旅立ち、フマーユーンに譲位した噂が流された[2]。バーブルは自分の身体をカーブルに葬るよう遺言したが、遺体はヤムナー河岸のラーム・バーグ庭園に埋葬された[104]。後にスール朝シェール・シャーによって遺体はカーブルに移され、1607年にカーブルを訪れたバーブルの曾孫ジャハーンギールは、バーブルが葬られている庭園に石碑を建立した[104]。生前の希望に従って墓石を囲む廟は建てられなかったが、後年に簡素な屋根付の建物が墓石の上に置かれた[101]

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(1.6.インドにおける勢力の拡張)
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出典:Wikipedia
2019/07/10 13:00
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