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バーブル
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1.生涯
1.1.少年期
1483年にフェルガナ地方のアンディジャンで、バーブルはフェルガナの領主ウマル・シャイフの長子として生まれる[7][8]。バーブルが誕生した当時のティムール朝は2つの政権に分裂しており、バーブルの一家は祖父のアブー・サイードが樹立したサマルカンドの政権に属していた[9]

1494年に父のウマル・シャイフが城内の鳩小屋が倒壊する事故に巻き込まれて急死した後、バーブルは家長の地位とフェルガナを継いだ[10]。バーブルの父方の伯父であるサマルカンドの君主スルターン・アフマドと、母方の叔父であるモグーリスタン・ハン国の君主マフムード・ハンはウマル・シャイフの死を知ると、バーブルが継いだ領地を獲得するためにフェルガナに侵攻した。バーブルは祖母のエセン・ダウラト・ベグムと臣下の補佐を受けて、叔父たちの攻撃に打ち勝つ[11]。叔父たちの攻撃を撃退した後、アンディジャンで父の葬儀を執り行った。

1495年に従兄弟のバイスングルがサマルカンドの支配者の地位を継いだ後、サマルカンドの宮廷ではバイスングルを支持する派閥とバイスングルの弟スルターン・アリーを支持する派閥が争っていた[12]1496年にバーブルは混乱するサマルカンドへの遠征を行い、スルターン・アリーと同盟してバイスングルに対抗するが、遠征は失敗に終わる。翌1497年にバーブルは再びサマルカンド遠征を実施し、窮乏したバイスングルは北方のウズベクシャイバーニー朝)の指導者ムハンマド・シャイバーニー・ハンに援軍を要請する。サマルカンド近郊にシャイバーニーの軍が現れた時、バイスングルは援助を拒んで単独でサマルカンドを防衛し、7か月の包囲の末にバイスングルはサマルカンドを放棄してクンドゥーズに逃走する[13]。バーブルは主を失ったサマルカンドに入城し、1497年11月末にスルターンに即位する。しかし、臣下のスルターン・ムハンマド・タンバルがアンディジャンで起こした反乱を鎮圧するためにバーブルは帰国せざるを得なくなり、サマルカンドでの治世は約100日で終わる[14]

1年半から2年近くの期間、本拠地を失ったバーブルはホジェンドを拠点としてアンディジャン、サマルカンドに出兵するが事態は進展せず、1499年夏に支持者の手引きによってようやくアンディジャンに入城することができた[15]。アンディジャン奪還後も、バーブルの弟ジャハンギールを擁立するタンバルとの争いは続いた[16]1500年2月にタンバルと休戦協定を締結するが、バーブルの陣営ではタンバルの派閥に属するベグ(司令官)が権勢をふるっていた[17]

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出典:Wikipedia
2019/07/10 13:00
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