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バーブル
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4.家族
1500年3月にバーブルは許嫁であるスルターン・アフマドの娘アーイシャ・スルターン・ベギムと結婚するが、バーブルは彼女とは十数日に一度しか会おうとせず、自伝には初めての結婚に対する困惑と気恥ずかしさを書き残している[126][127]。翌1501年にアーイシャ・スルターン・ベギムとの間に一女をもうけたが、娘は生後間も無く夭折し、バーブルとアーイシャ・スルターン・ベギムの関係は良くならなかった[127]。アーイシャ・スルターン・ベギムとの結婚と同じ時期、バーブルはバーブリーという名の少年に強く魅了され、衝動に駆られて街路や庭園をさまよい歩いた[128][129]

バーブルはアーイシャ・スルターン・ベギムの異母妹であるマースーマ・スルターン・ベギムと恋に落ち、1506年の冬にヘラートで彼女と結婚した[130]。マースーマ・スルターン・ベギムは娘を産んだ後に亡くなり、バーブルは彼女が残した娘に母親と同じマースーマという名前を付けた[131]

バーブルは早い段階から長男のフマーユーンを後継者として考え、生前に臣下にフマーユーンに王位を継承する意思を伝えていた[132]1520年/21年にバーブルは当時13歳のフマーユーンをバダフシャーンに総督として派遣し、息子を気遣ってフマーユーンの生母であるマーヒム・ベギムとともに任地まで付き添った[133]。パーニーパットの戦いの前にフマーユーンが初陣を飾った時の様子を、誇らしげに書き残した[134]

1518年/19年に実施したインド遠征中に生まれた息子には、テュルク語で「インドの征服」を意味するヒンダルと名付けた[51]。1522年/23年には次男カームラーンにスンナ派ハナフィー学派の教義を分かりやすく説明するため、チャガタイ語による韻文『ムバイイン(解説)』を著した[135]

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出典:Wikipedia
2019/07/10 13:00
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