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ハンブルク
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概要
ハンブルクドイツ語: Hamburg低ザクセン語低地ドイツ語: Hamborg (Hamborch) [?ha?mb??χ])は、ドイツの北部に位置し、エルベ川河口から約100kmほど入った港湾都市。正式名称は自由ハンザ都市ハンブルクFreie und Hansestadt Hamburg、フライエ・ウント・ハンゼシュタット・ハンブルク)。行政上では、ベルリン特別市と同様に、一市単独で連邦州(ラント)を構成する特別市都市州)なので、ハンブルク特別市ハンブルク州と呼ばれる。人口約184万人[1]国際海洋法裁判所がある。

名称[編集]

「ハンブルグ」と慣例的に表記されることもあるが、ドイツ語の発音ではこの語尾の "g" は無声音であるため、仮名転写は「ハンブルク」[2][3]となる。現地での低地ドイツ語系の低ザクセン語に属するハンブルク方言ドイツ語版またはハンブルク語ドイツ語版による「ハンブイヒ」([?hamb???]) や、低ザクセン語の「ハンボーホ」の発音も聞かれる。街の語源は、古ドイツ語の「湾の城」に由来する(Ham = 湾、Burg = 城)。漢字表記の「漢堡」は、「Hamburg」の音訳であり、日本語と中国語の両方で同一表記である(※漢字の「堡」は「とりで」を意味しており、「burg」の直訳)。ハンバーグの語源はハンブルクの労働者の食事として流行っていたタルタルステーキから来ている。英語でもハンブルクのことを“ハンバーグ”に近い発音で呼ばれる(英語でBurgはバーグ)。なお、フランス語では「Hambourg」(アンブール)と表記される。

地理[編集]

エルベ川の支流・アルスター川の河口にある港湾都市で、ドイツ北部における経済の中心地。
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ニーダーザクセン州に境を接する。近隣の都市としては、約80km北のキール市、55km北東のリューベック市、95km南西のブレーメン市、95km西のブレーマーハーフェン市、90km東のシュヴェリン市などが挙げられる。

市域は、アルスター川東岸の旧市街と西岸の新市街、それらをとりまく地域からなる。旧市街は昔から商業地域の中心で、数多くの運河がながれている。町の景観の特色のひとつが運河にかかる橋で、アムステルダムヴェネツィアをあわせたよりも多くの橋がある。そのほかの名所としては、港にかかる長いつり橋ケールブラント橋や、アルスター川をせきとめてつくった内アルスター湖と外アルスター湖[4]、現在では旧市街をかこむ公園・遊歩道となっている古い市壁跡地があげられる。また、ナイト・クラブがならぶレーパーバーン歓楽街として有名である。

歴史[編集]

6世紀には、エルベ川河口に港湾都市として存在しており、ヴァイキングの襲来を受けている。808年、カール大帝によって前哨基地ハンマブルク城塞が築かれ、811年にはキリスト教の布教をさらに推進する目的で、砦の近くに大聖堂を建設し、「ハンブルク」としての基礎が整えられる。この大聖堂はまもなく北ヨーロッパのキリスト教文化の中心となったが、しばしば敵対する民族に攻撃された。834年ベネディクト会の大司教座がおかれたが、北方民族の略奪をうけて、848年に近くのブレーメンに移された。

ハンブルクはデーン人スラブ人の襲撃にももちこたえ、1189年には神聖ローマ帝国フリードリヒ1世から船舶航行の特許状をうける。この特許状は第3回十字軍への貢献の報償としてあたえられたもので、商業上の特権をみとめるものだった。また、関税特権、経済特権を獲得したことで交易都市としての発展が進み、1241年にリューベックと、1249年にブレーメンと防衛同盟をむすんだ。同年、シャウエンブルク伯爵より完全な自治を許され、貨幣製造権も与えられる。このことがやがてハンザ同盟の成立へとつながっていく。たかだか同盟のビール生産地にすぎなかったハンブルクは、リューベックが衰えるのと反対に繁栄し富裕な有力都市のひとつとなった。その後、1410年、1510年、1618年と三度神聖ローマ皇帝から自由都市の特権を与えられ、自治権を獲得維持した。

1529年には宗教改革をうけいれ、ルター派カルバン派の避難場所となった。1558年、アントウェルペン取引所にならってハンブルク証券取引所ドイツ語版が設立され、そこでは植民地生産物だけでなく証券・保険に関する取引も集中処理された[5]。その後、三十年戦争によりハンブルクの商業は大打撃をこうむった。しかしフランスフォンテーヌブローの勅令が出て逃げてきたユグノーが、当時において先進的な工業技術と潤沢な資金により復興させた。1709年からアメリカへの移住が始まった。1720年、ユグノーに厚いプロイセン王国がオランダへ黄金海岸を売却した。このころよりサンクトペテルブルクの開発が進み、それに呼応してロシア帝国に干渉しオスマン帝国を攻撃するための、政治・経済・軍事拠点としてハンブルクは活躍するようになった。

1810年、ハンブルクはナポレオン1世の軍隊に占領された。しかし、ナポレオンの没落後ふたたび自由都市となり、1815年にドイツ連邦に加盟した。このころにスペイン・ポルトガルから独立していたラテンアメリカ諸国が欧州との貿易を望み、ハンブルクは旧来の取引関係をさらに拡充する機会として積極的に応じた。

1842年に4日間にわたる火災で市街地は被害をうけた(ハンブルク大火)。1871年のドイツ帝国成立の際、ハンブルクはどこの州にも属さず独立を維持した。

1892年にはコレラの流行で8605人もの死者が出た。このときプロイセン王国に属するアルトナ市は、市街地をハンブルクに隣接させていたが、水道を濾過する設備を整えており、コレラの侵入を全く阻んで瘴気説の終焉をもたらした[6]
1918年11月のハンブルクの人民蜂起はドイツ帝国崩壊の先触れとなり、短期間ではあるが、社会主義レーテ共和国が樹立された。

第二次世界大戦では潜水艦基地がおかれ[7]連合国軍のハンブルク空襲により多くの市民が命を失った。1946年、マックス・ブラウアー英語版が戦後初の市長となった。1949年ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立し、ドイツ通信社が発足した。

政治[編集]

現在も市民にはプロテスタントが多い。政治的には中道左派のドイツ社会民主党 (SPD) が長期間市政を担うなど、南ドイツ第一の都市・ミュンヘン市とはサッカーに限らずあらゆる点で対照的である。ミュンヘンのあるバイエルン州はカトリックの地盤であり、政治では保守政党のキリスト教社会同盟 (CSU) の勢力が強い[8]。2011年よりSPD党首代行のオーラフ・ショルツが市長を務めていたが2018年3月の中央政府入閣に伴い、同盟90/緑の党 (Gr?ne)のカタリナ・フェゲバンク英語版が代行しており、3月28日にSPDのペーター・チェンツシェール英語版が就任する予定。

ハンブルク市議会ドイツ語版の定数は121。2015年2月15日に行われた前回選挙の結果は以下の通りである[9]

ドイツ社会民主党(SPD) - 58議席
ドイツキリスト教民主同盟(CDU) - 20議席
同盟90/緑の党(Gr?ne) - 14議席
ドイツのための選択肢(AfD) - 8議席
自由民主党(FDP) - 9議席
左翼党(Linke) - 10議席
無所属 - 2議席
2007年、SPDは自由・公正・連帯をモットーにハンブルク綱領を採択した。2009年6月以降、10票制を採用した(小選挙区5比例5)。

2011年に惨敗したCDUはさらに議席を減らし、反EUの右派新党「ドイツのための選択肢」が6.1%の得票を得て、初めて議席を獲得した。一方、2011年の選挙で単独過半数を確保したSPDも第一党の座は維持したものの過半数を割り込んだため、緑の党との連立政権を樹立した。2013年の連邦議会選挙で全議席を失うなど、党勢の退潮が続いていたFDPは議席を維持している。

地方行政[編集]

ハンブルク特別市は、七つの区域(Bezirk)に区分されている。

ベルゲドルフ区ドイツ語版 (Bergedorf)
アイムスビュッテル区ドイツ語版 (Eimsb?ttel)
ミッテ区 (ハンブルク)ドイツ語版 (Hamburg-Mitte)
ハンブルク=ノルト区ドイツ語版 (Hamburg-Nord)
ハールブルク区ドイツ語版 (Harburg)
ヴァンツベック区ドイツ語版 (Wandsbek)

経済[編集]

ブレーメン市と同様に、中世以来の自由都市としての地位を現代まで維持している。ベルリン特別市に次ぐドイツ第2の都市である。

中世よりハンザ同盟の中心的役割を果たした都市の一つでもあり、エルベ川沿いの港湾商業都市として発展した。コンテナ貨物用の広大な施設をそなえ、造船と船舶修理用の大きなドックを持つ港は、ドイツ第一、欧州連合第二の港湾規模、大小約500の海運関係企業があるといわれている。鉄道と高速道路網によって中央ヨーロッパの諸都市とむすばれ、ドイツ最大の物流拠点となっている。

1999年、ハンブルク証券取引所がハノーファー・ニーダーザクセン取引所と合併した[10]

2000年、ハンブルク空港アヴィ・アライアンスが参入した(49%)。

近年ハンブルクは産業構造改革の一環として技術集約産業の誘致に熱心で、多くの多国籍企業が拠点をおいている。エアバス社が専用滑走路をもつドイツ最大の工場を置いている他、ハンブルク空港にはルフトハンザ・テクニック社がある。また、モンブランや日本名ニベア花王で知られるバイヤースドルフの本拠地でもある。現在、大型クルーズ船の桟橋や文化・商業・居住機能をもつ臨港地域「ハーフェンシティ」の開発計画が進行中である[11]

ハンブルクは1998年に電力自由化をとげ、やがてバッテンフォールがハンブルク電力会社(HEW)を買収した。その後ヴァッテンファルは、市内で石炭火力発電所の建設計画を進めたが、地球温暖化の観点から市民の反対運動にあった。訴訟なども経て、2008年にハンブルク市は建設を認めたが、市民はこれに納得せず、ヴァッテンファルへの不買運動を展開した。市がもつ公共空間利用権の付与権限が市民の強力な武器となった。2011年にハンブルク市は、市が25%、ヴァッテンファルが75%を出資する共同会社の設立を提案し、配電事業の経営に市民の意向を反映させることを約束した。しかし、これに満足しなかった市民は、あくまで100%の出資を主張し、2013年9月に住民投票に持ち込んだ。その結果、僅差であったが市民の提案が支持され(50.9%)、市も100%の電力網公社の設立に同意した。2014年、ハンブルク電力網公社(Stromnetz Hamburg)がバッテンフォールとE.ONから配電網を買い取り、配電事業を開始した[12][13]。2014年、RWEの子会社(DEA AG)がアルファ・グループのL1 に買収された。

ドイツ連邦は2011年8月に原子力法を改正し原発再稼動を禁じた。しかしRWEとE.ONとバッテンフォールは財産権の侵害を連邦憲法裁判所に提訴した。前二社は残存発電電力量を事業者固有の財産と主張。バッテンフォールはドイツ政府の政策変更が「エネルギー憲章に関する条約」の定める「外国企業の財産権侵害」にあたるとして、投資紛争解決国際センターに調停を申し入れ、その上で連邦憲法裁判所へ提訴していた[14]。2016年12月6日、連邦憲法裁判所は政府の賠償責任を認めた。具体的な賠償額などは示していないが、電力会社が今後の訴訟や交渉で賠償請求するための根拠となる[15]

2017年7月7日-8日、ハンブルク市内で第12回G20首脳会議が行われた。会議に合わせて7月6日より市内で大規模デモ行進が行われ少なくとも1万3,000人が参加。一部は暴徒化し、警官75人が負傷した[16]

文化[編集]

音楽[編集]

ハンブルク国立歌劇場(実際は市立だが、独立性の高い政府組織を持つ他の州立歌劇場と同様、一般にはハンブルク国立歌劇場と呼ばれる)はヨーロッパ屈指の長い歴史を有し、バロック音楽中期のイタリアオペラ全盛期であった1678年の初公演からドイツ語オペラ上演を盛んに行なっていた名門オペラハウスである。専属オーケストラはハンブルク・フィルハーモニカーの名でコンサートも行う。同歌劇場は1970年前後に北ドイツ放送と共同で質の高いオペラ映画を多数製作し、それらの一部は現在でもDVDなどで親しまれている。

18世紀にはゲオルク・フィリップ・テレマンカール・フィリップ・エマヌエル・バッハがハンブルク市音楽監督を勤めた。ロマン派時代の作曲家フェリックス・メンデルスゾーンヨハネス・ブラームスの生誕地でもあり、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の本拠地でもある。2017年に新しいコンサートホール、エルプフィルハーモニーが開業した。ハンブルクはミュージカルの興行が盛んな街としても知られる。

ビートルズが下積み時代にハンブルクで活動していたことでも知られ、その英国デビューは「ハンブルクから来た男たち」の触れ込みで行われたためドイツ人バンドと誤解されたというエピソードもある。

スポーツ[編集]

フォルクスパルクシュタディオンを本拠地とするハンブルガーSVが有名。
FCザンクトパウリ
2006年にドイツ全域で開催されたFIFAワールドカップの開催都市の一つであり、シュタディオン・ハンブルクAOLアレナ)にて試合が行われた。
自転車ロードレースとして最高峰カテゴリーとなるUCIワールドツアーの中の1レース「サイクラシックス」が毎年夏に行われている。
ITU世界トライアスロン選手権シリーズ国際トライアスロン連合(ITU)主催の最高峰のシリーズ戦であり、毎年ハンブルク市街地をコースとして多くの観客が訪れる。2007年は、世界選手権が開催され、地元ドイツのアンガーが世界ランク1位のゴメスに大逆転勝利をおさめた。
プロテニスドイツ国際オープンが開催されている。

観光[編集]

欧州屈指の歓楽街を持つ。市の中央にアルスター湖があり、観光客も多い。観光では、最近はエリカ街道の起点にもなっている。

ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街世界遺産
港湾の倉庫街(シュパイヒャーシュタット)
商館街(コントーアハウス地区)
チリハウス
アルスター湖
アルスター・アルカーデ
ユンクフェルンシュティーク
ザンクト・パウリ
フィッシュマルクト
アーレンスブルク城
ベルゲドルフ城
ラインベック城
旧商工組合福祉住宅
アルテポスト
ハインリヒ・ヘルツ塔
聖ミヒャエル教会(通称「ミヒェル」後期バロック様式)
聖ヤコビ教会
聖ペトリ教会
ハンブルク市庁舎英語版ドイツ語版
表現主義様式の建築群
ハンブルク港
船の博物館 リックマー・リックマース
ウェルカムポイント
ミニチュアワンダーランド
ハンブルク歴史博物館
ハンブルク市立美術館
アルトナ博物館
エロティック・アート美術館
ダイヒトーアホール
ハンブルク市立博物館
ヨハネス・ブラームス博物館
美術工芸博物館 - 創設者のJustus Brinckmannは、ドイツに日本の工芸美術を紹介した最初の本と言われる著作もあり、同館には欧州で最高クラスの浮世絵コレクションも所蔵されている[17][18]
ブラームス記念館
ハンブルク国立劇場
国立ドイツ劇場
国立タリア劇場
ワイン博物館
ハーゲンベック動物園
ライスハレ(旧ムジークハレ) - 北ドイツ放送交響楽団の本拠となっているコンサートホール
HSHノードバンク・アレーナ - 2006年ドイツWC会場。
ハンブルガーSV - ハンブルク特別市を本拠地とするサッカークラブチーム。

交通[編集]

ハンブルク港
ハンブルク空港
ハンブルク中央駅
ハンブルク地下鉄

姉妹都市[編集]

サンクトペテルブルクロシア)、1957年
マルセイユフランス)、1958年
上海中華人民共和国)、1986年
ドレスデンドイツ)、1987年
レオンニカラグア)、1989年
大阪日本)、1989年
プラハチェコ)、1990年
シカゴアメリカ合衆国)、1994年
なお、横浜港が姉妹港である。

ハンブルク出身者[編集]

ア行

ファティ・アーキン - 映画監督
イングリッド・アンドレ - 女優
ヘルマン・アンブロジウス - 作曲家
ヨハネス・ハンス・イェンゼン - 物理学者
アビ・ヴァールブルク - 美術史家
シュテファン・エッフェンベルク - サッカー選手
ヨハン・フランツ・エンケ - 天文学者
カール・フォン・オシエツキー - ジャーナリスト
カ行

マイケル・キスク - ミュージシャン
イヴァン・クラスニッチ - サッカー選手
ヘルムート・グリーム - 俳優
カール・ゴッチ - プロレスラー
マルガレータ・コズーフ - バレーボール選手
サ行

ダグラス・サーク - 映画監督
ジェイムズ・ヘンリー・シュミッツ - 作家
ヘルムート・シュミット - 第5代連邦首相
マティアス・ヤーコプ・シュライデン - 植物学者、生物学者
マルガレーテ・ズースマン - 作家
タ行

ラルフ・ダーレンドルフ - 社会学者
ロルフ・ダンネベルク - 陸上選手
フェルディナント・ティエリオ - 作曲家
クリスチャン・テツラフ - バイオリン奏者
エルンスト・テールマン - 政治家
ナ行

ハンス・エーリヒ・ノサック - 作家
ハ行

カール・ハーゲンベック - 無柵放養式展示動物園の先駆者
トミー・ハース - プロテニス選手
タチアナ・パティッツ - モデル
カイ・ハンセン - ミュージシャン
ヴォルフ・ビーアマン - 詩人
オリヴァー・ヒルシュビーゲル - 映画監督
ヴォルフガング・ヒルデスハイマー - 作家
パトリック・フェメルリンク - プロバスケットボール選手
ユルゲン・フォーゲル - 俳優
ヨハネス・ブラームス - 作曲家
ジェイムス・フランク - 物理学者
ウィリー・ブルメスター - ヴァイオリニスト
アンドレアス・ブレーメ - サッカー選手
ヒエロニムス・プレトリウス - 作曲家
クリスチャン・アウグスト・フリードリヒ・ペーテルス - 天文学者
ペーター・ベーレンス - 建築家、デザイナー
エヴァ・ヘス - 彫刻家
グスタフ・ヘルツ - 物理学者
ハインリヒ・ヘルツ - 物理学者
ゲルハルト・ヘルツベルク - 化学者
ヤーコプ・ベルナイス - 古典言語学者
ミヒャエル・ベルナイス - 文学史家
ヨハン・ボーデ - 天文学者
カレン・ホーナイ - 精神分析家
ヴォルフガング・ボルヒェルト - 作家
ワルデマル・ボンゼルス - 児童文学作家
マ行

ヨハン・マッテゾン - 作曲家
アンゲラ・メルケル - ドイツ初の女性の連邦首相
ファニー・メンデルスゾーン - ピアニスト
フェリックス・メンデルスゾーン - 作曲家
ヤ行

ハンス・ヘニー・ヤーン - 作家
ラ行

カール・ライネッケ - 作曲家
ハンス・ライヘンバッハ - 科学哲学者
カール・ラガーフェルド - ファッションデザイナー
マチアス・ルスト - パイロット
ハンス・アウグスト・レイ - 絵本作家
エーリヒ・レーダー - 軍人


脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

ハンブルク市公式サイト (日本語)
統計局 (ドイツ語)
在ハンブルク日本国総領事館 (日本語)
ハンブルク観光局 (日本語)
ドイツ政府観光局 - ハンブルク (日本語)
ヴァーチャルハンブルク 360° (英語) (ドイツ語)
ハンブルクのパノラマ (英語) (ドイツ語)
シティマガジン・ハンブルク (日本語)
ハンブルク日本人会 (日本語)
出典:Wikipedia
2020/03/13 00:30
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