ネットチェンジ
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2.テレビ局
2.4.東海3県における名古屋放送(メ〜テレ)と中京テレビ放送の「複合ネット」
名古屋地区においては、既にラジオ局として開局していた中部日本放送(CBC、現:CBCテレビ)が1956年にテレビ放送を開始した。テレビ放送開始からしばらくの間は、日本テレビ放送網(NTV/日本テレビ)の番組とラジオ東京(KRT、現:TBSテレビ)の番組をクロスネットしていた。

1958年、近畿東海放送およびラジオ東海(現:東海ラジオ放送)が中心となって立ち上げた東海テレビ放送(THK/東海テレビ)が開局。ニュースは共同テレビニュースを放送していたが、スポンサーなどの都合もあり、東海テレビも日本テレビ主体としつつ、ラジオ東京や関西テレビ放送(KTV/関西テレビ)の番組も放送する、事実上のクロスネット体制であった。

1960年5月、ラジオ東京を軸とした「四社連盟」が発足し、名古屋地区でのネットワークは、中部日本放送=ラジオ東京系列、東海テレビ=フジテレビ系列主体に整理された。ただ中部日本放送には、日本教育テレビ(NETテレビ、現:テレビ朝日) - 毎日放送 (MBS) とのネットワーク関係が学校放送を中心に残り、東海テレビにも、日本テレビやNETテレビ - 毎日放送とのネットワーク関係が残っていた。

1962年4月に名古屋放送(NBN、現:名古屋テレビ放送/メ〜テレ)[15]が開局し、中部日本放送と東海テレビ両社の日本テレビ系列とNETテレビ系列の番組は名古屋放送に移行、名古屋地区でのネットワーク整理がおおむね完了した。ただし、日本テレビのプロ野球ナイター中継は同年秋まで東海テレビで継続、1975年3月31日の「腸捻転ネットワーク」解消までは、毎日放送の一部の番組も残されていた。

1969年4月、名古屋地区第4局の中京ユー・エッチ・エフテレビ放送(CUT/現:中京テレビ放送=CTV)が開局した際、名古屋放送は従来のクロスネットのまま高視聴率の取れる編成としたため、CTVは名古屋放送と同じNETテレビ系列と日本テレビ系列とのクロスネットを余儀なくされた。窮地に陥った中京テレビに東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が手を差し伸べたため、ネットワーク関係は一層複雑となった。

この背景には、出力の強い既存のVHF局で、スポンサーや視聴者にも馴染みのあった名古屋放送を巡って、日本テレビ・読売新聞社とNETテレビ・朝日新聞社が争奪戦を展開していたが、結局日本テレビ陣営が降りることで決着。1973年4月の改編以降、ネットワークは名古屋放送 - NETテレビ系列、中京テレビ - 日本テレビ系列に落ち着いた。

また、1968年に日本国内初の独立UHF局として開局した岐阜放送も、開局当初はNETテレビの番組を多くネット受けしていたが、ネット局整理後の1973年4月以後は、東京12チャンネルからのネット受け主体と自社制作に転換。オイルショックの影響で、放送時間も、それまでの準全日体制から夕方 - 夜間にかけての数時間に短縮された。

名古屋地区では、日本テレビ系と日本教育テレビ系のクロスネットをしていた名古屋放送が1972年に一部の日本テレビ枠を日本教育テレビ枠に付け替えると発表したことからトラブルが始まり、同年12月に日本テレビ=中京テレビ放送、日本教育テレビ=名古屋放送と系列化することが4社の合意により決まった[16]。これは日本の「基幹地区」(東京、名古屋、大阪、福岡)のネット再編成の端緒であったとされる[16]

名古屋放送から見た歴史[編集]


名古屋放送は、トヨタ自動車販売神谷正太郎を中心に、朝日・毎日・読売の三大新聞社と、日本テレビ、NETテレビの出資で設立され、日本テレビとNETテレビのクロスネットとして開局したが、NETテレビが当時教育局であったため、社内でのNETテレビ系列の番組への評判は低かった。こうした事情から、開局時点での名古屋放送の番組は、巨人戦やプロレス中継といった有力番組を持つ日本テレビ系列をメインに編成するようになった。

ただ、社長に就任した神谷は朝日新聞社シンパであり、朝日新聞社の特信部長であった川手泰二[17]を腹心として呼び寄せるなど、人事面では朝日色が強かった。

1964年から1966年にかけて、名古屋放送のネット比率は日本テレビ系列が70パーセント、NETテレビ系列が30パーセントであった。当時NETテレビは朝日新聞社との関係を強化していたことから、ネット比率を日本テレビと同等にすべく、毎年強く働きかけていた。こうした中、1969年4月、中京テレビが事実上NETテレビ系列主体で開局。中京テレビはUHFでの放送であり、視聴には別途コンバーターの購入が必要となることから、「中京テレビとの完全ネットはネットワーク政策上不利だ」と言われていたため、NETテレビ・日本テレビの両社は、名古屋放送との関係強化にばかり腐心していた。名古屋放送は中京テレビ開局後も、NETテレビと日本テレビとのクロスネットを継続、半年ごとの番組改編に頭を悩ませ続けることとなった。

名古屋放送は日本テレビ系列を中心にしつつも、NETテレビ系列の高視聴率番組を組み合わせた編成で放送していた。また、ニュース系列でのちにNNNに加盟するなど、開局当時から日本テレビ系列の準基幹局として位置付けられていたが、正午前と夕方のニュースは、朝日新聞社との関係でANNニュース(昼はNNNも放送)を受けていた。また、ゴールデンタイムは曜日によりキー局が異なるため、スポットニュースは基本的に自社制作していた。このため東海地区では、夕方とゴールデンタイム=スポット枠のNNNニュースが放送されず、日本テレビの不満は募っていた。

1970年、日本テレビは、このような中途半端なネットワークを改善すべく、名古屋放送との間で「ゴールデンタイム枠を日本テレビ系列番組に固定する」3年契約を結んだ。20・21時台は、全曜日で日本テレビ系列の時間となったが、1972年秋、NETテレビ・朝日新聞社の猛烈な巻き返しで、土曜日の19時30分から2時間枠をNETテレビ系列にする編成案を発表。これで日本テレビの態度が硬化し、係争関係に発展。一旦和解はしたものの、日本テレビは結局名古屋放送との関係修復をあきらめ、中京テレビとの完全ネットを決断した。

一方名古屋放送はNETテレビと完全ネットを結び、1973年4月1日付けでNNNを脱退。しかし、これまで編成上60パーセントを占めていた日本テレビ系列の番組が姿を消したことで、長年苦戦を強いられることとなった。

中京テレビ放送からみた歴史[編集]


中京テレビは、東海銀行(現三菱UFJ銀行)を中心とした中京財界をバックボーンとして、1969年4月に開局した。先発局である中部日本放送(CBC、現在のCBCテレビ)と東海テレビ放送も設立に深く関わっていたが、新聞資本に関しては、これら先発局と関係の深い中日新聞社が、集中排除の原則から出資を見送り、結局、当時、名古屋放送がネットワークを結んでいた日本教育テレビ(NETテレビ)にも出資し、かつ中日新聞社と競合関係ではなかった日本経済新聞社の出資を受けることとなった。

名古屋放送は日本テレビ系列中心の編成であり、NETテレビ系列の番組はどちらかといえば劣勢であった。こうした経緯もあり、中京テレビは、当初NETテレビ系列を中心とした番組編成を基本方針としていたが、名古屋放送がNETテレビ系列の主力番組を離さず、また、NETテレビの実質的な親会社になっていた朝日新聞社も、先発局でありNETテレビ自身も出資をしている名古屋放送とのネットにあくまでこだわった。また、中京テレビはいわゆる日本の3大都市圏をカバーする広域放送圏では初めて、親局がUHFチャンネルとなるため、UHF非対応のテレビ受像機で視聴するためには別途UHFコンバータの購入が必要となることから、広告媒体としては非常に不利であるとみられていた。このため、日本テレビ・NETテレビの両社は名古屋放送との関係強化ばかりに腐心していた。

こうした事情から、中京テレビは日本テレビ系列とNETテレビ系列の番組のうち、名古屋放送の編成から外れた番組を放送することになったが、日本経済新聞社が同年12月に東京12チャンネルの経営に参加したことで、同月からは東京12チャンネルの番組も加わった。それでも初期の中京テレビは、こうした東京の弱い番組ばかりをあてがわれ、視聴率や営業で相当苦戦していた[18]

開局当時の中京テレビは、ニュース番組については基本的にANNから受けていたが、正午前と夕方のニュースは名古屋放送が放送していた上、タイトルも名古屋放送に配慮して『中京テレビニュース』と差し替えていた。この差し替えは、東京12チャンネルが制作した『東京12チャンネルニュース』(現:TXNニュース)のネット受けの際も行なわれていた。また、NNNに加盟していなかった上、名古屋放送との関係もあって、1973年3月まではNNNニュースをまったく放送できず、中京地区では、夕方とゴールデンタイム=スポット枠のNNNニュースが視聴できない事態となった。

1972年秋、名古屋放送と日本テレビとの間に起きた土曜日の番組編成を巡る関係悪化によって、中京テレビにとっては不利であったネットワーク環境は急転換した。日本テレビが、将来的な中京テレビとの完全ネットを決断。日本シリーズ中継を手始めに、中京テレビと日本テレビは関係が深まっていった。

1973年4月1日、中京テレビは日本テレビとの完全ネットを実現し、NNNにも加盟する。それでも、当時名古屋地区に系列局が存在しなかった東京12チャンネル(現在のテレビ東京)との間には若干のネットワーク関係が残っており、『大江戸捜査網』、『プレイガールQ』、『日米対抗ローラーゲーム』、『世界ビックリアワー』などの番組がプライムタイム枠で放送されていた。また、中京テレビ制作の『お笑いマンガ道場』は、関東地区では当初東京12チャンネル[19]でネットされていた。

中京テレビは、1983年8月まではテレビ東京(旧・東京12チャンネル時代を含む)の番組の一部をネットしていた[20]が、1983年9月、名古屋地区にテレビ愛知が開局したことで、日本テレビ系列の純粋な基幹局という位置づけに落ち着く。テレビ愛知開局後、日経が持つ中京テレビ株式が、日本テレビ並びにその関連会社に譲渡され、資本関係も整理された。

以降、1979年3月にスタートした日本テレビ系列の朝の情報番組『ズームイン!!朝!』での中継や、『お笑いマンガ道場』を始め、『ワザあり!にっぽん』、『早見優のアメリカンキッズ』、『サルヂエ』といったさまざまな全国ネットの番組を制作、在名局でも1・2を争う制作力を持っていた。

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(2.3.福岡県と山口県(関門2県)のケース)
[6]次ページ
(2.5.大阪準キー局「腸捻転」の解消)
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出典:Wikipedia
2019/10/05 17:30
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