ドイツ
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2.歴史
2.4.連合国による占領と東西分断、そして再統一へ
1945年、ドイツは第二次世界大戦に敗北した。そしてオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンシュレジェン地域を完全に喪失した。これにより戦前の領土の25%を失った。さらにアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領された(連合軍軍政期)。ソ連が物納での賠償を主張して西側諸国と鋭く対立した(ドル条項問題)。1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国西ドイツ)と、ベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国東ドイツ)に分裂した。

西ドイツとフランス両国の首脳が道徳再武装で交流を深めた結果、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体が誕生した。この同年IGファルベンが正式に解散、1952年にはバイエル、ヘキスト、BASF, アグフアなどの12社に分割されたが、やがてバイエル、ヘキスト、BASFの三社によって吸収されていった。1953年、東ベルリンで反ソ暴動が起こり、これをきっかけとして東ドイツでの社会保険が支出を拡大し均衡を失っていった。冷戦の時代を通じ、東西ドイツは資本主義共産主義が対立する最前線となった。労働力をめぐる対立は1961年にベルリンの壁となって現れた。それからしばらく東西の外交はド・ゴールを挟んで行われた。

1972年に東西ドイツ基本条約が成立した。翌年、オイルショックが両国に大打撃を与えた。西ドイツでは1974年6月にユーロバンクのヘルシュタット銀行(Herstatt Bank)が破綻したり、長期的には企業のコストダウンを目的に早期退職を促した政策で公的年金の債務が累積したりした。東ドイツは原油をソ連に80%も依存していたので、価格をソ連が吊り上げてゆくと財政は苦しくなった。そこで資源を東ベルリンへ集中投下して西側諸国向けの輸出を拡大した[11]。東ベルリンへ投下された資本で著しい集中がみられたのは集合住宅である。賃料が安く据え置かれ、再生産がままならず、国家財政を圧迫した[12]

1989年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊した。翌1990年再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。1992年9月、ドイツマルクが高騰して欧州の通貨を混乱に陥れた。外国機関投資家はドイツマルクを各州とその産業へ投じていった。州間で巨額の財政が調整されていった[13]。こうして、旧東ベルリンを中心とするベルリン再開発・インフラ整備を進めることができた。国際会計基準が統一されてくると、機関投資家は監査役を派遣しなくてもドイツ企業の財務状態を正しく知ることができるようになり、株主としての地位を確立した。2001年、国内のマネー・マーケット・ファンド(MMF)が残高を急に増やした[14]。同年5月2日に連邦がベルリンへの首都機能移転を完了させた。2002年にドイツ連邦銀行の政策が欧州中央銀行と加盟国の中央銀行で構成される欧州中央銀行制度へ移管された。2000-2002年にドイツ取引所クリアストリームを買収した。2003年よりドイツ復興金融公庫ドイツポスト株を民間へ譲渡、2005年に政府の保有割合が2割となった。

世界金融危機で国内のMMFもアメリカのように残高を激減させた[14]。また、国内の州立銀行は債務担保証券をつかまされ、機関投資家として損害を被った。2009年に憲法の第109条および第115条を改正、起債の制限がより厳しくなった[15]。近年のユーロ危機では、競争力の高いドイツが域内から黒字を吸い上げる構造が他のトロイカ勢から批判される一方、これまで合理化に耐えてきた国民からは援助支出への不満の声が高まるなど、政府は難しい舵取りを迫られている。アメリカで「銀行狩り」のあった2013年を除き、ドイツのミューチュアル・ファンドおよび他の金融仲介の残高は2003-2017年の期間で増加の勢いを保っている[16]

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出典:Wikipedia
2019/01/13 10:31
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