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ティエリ・アンリ
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1.経歴
1.2.代表
フランス代表としてのアンリの経歴は15歳の時にまで遡り、早くからその才能を世界の舞台で輝かせている。本格的な国際大会の初陣としては母国で開催された欧州U-19選手権で、決勝の対スペイン戦では決勝弾を決める活躍で優勝に貢献した。またマレーシアで開催されたワールドユースにもメンバー入りし、後のA代表の主力となるニコラ・アネルカダビド・トレゼゲと3トップを形成している。

代表デビューは1997年10月11日の対南アフリカ共和国戦。

1998年フランスW杯のフランス代表メンバーに選出され、決勝のブラジル戦以外の6試合に出場。通算3得点に終わるも、フランスはグループリーグを全勝で勝ち上がり勢いそのままにW杯初優勝。新世代の台頭を予感させるジネディーヌ・ジダンリリアン・テュラムの存在が光る大会となった。その2年後にベルギーオランダで共催されたEURO2000のメンバーにも名を列ね、3得点を記録。フランスは今大会でも優勝を果たし、史上初となるW杯と欧州選手権を立て続けに優勝した国となった。

2002年にフランス代表の中心選手として日韓W杯に挑むもグループリーグで敗退。アンリはグループリーグ2戦目となったウルグアイ戦でレッドカードで退場となってしまい、そのまま3戦目のデンマーク戦にも出場できず戦犯とされる事態に発展した。同大会のフランス代表はロベール・ピレスが右膝の靭帯断裂で代表に招集されなかったことや、ジダンの左腿の肉離れによる欠場といったことが敗退要因として挙がったが、それでも世界有数の選手を揃えた優勝候補国であることは変りなく、大会早々に大波乱という話題を振りまいて姿を消した。

自国開催となったFIFAコンフェデレーションズカップ2003では2大会連続優勝。この大会ではジブリル・シセと2トップを組むことが多かったが、先発と控えを作らないというチーム方針で全試合には出場していない。日本戦は控えに回ったが、アンリコールを繰り返す大歓声に応える形で後半35分に途中出場。チェイシングを仕掛ける中田英寿を反転して突破し、小笠原満男のスライディングを読んでかわすなど実力の片鱗を見せつけた。

2004年6月にポルトガルで開催されたEURO2004では、フランスはBグループ首位で決勝トーナメント進出を決めるも試合内容は前回王者とは思えないほど精彩を欠いており、とりわけ前々から囁かれていたアンリの代表不調はここにきても変わることはなく、決勝トーナメント一回戦で今大会の王者となるギリシャに敗退。フランスは2大会連続欧州王者とはならなかった。

ジダンが引退表明をして臨んだ2006年ドイツW杯では3得点を決めチームの準優勝に貢献。準々決勝のブラジル戦で決めたゴールはジダンのアシストによるもので、1997年のA代表デビュー以来ジダンから受けた最初で最後のアシストとなった。

EURO2008予選ではチーム最多の6得点を記録し、ミシェル・プラティニが持つフランス代表の最多得点記録を更新。しかし、本大会ではオランダ戦の1得点だけにとどまり、チームもグループリーグで敗退。なお、このアンリの1得点が大会のフランス唯一の得点である。

EURO2008終了後の最初の試合となったスウェーデンとの親善試合でフランス代表のキャプテンに任命された。

2010年南アフリカW杯欧州予選プレーオフ(対アイルランド)では延長戦で、チームを4大会連続本大会出場に導くウィリアム・ギャラスの決勝点をアシストしたが、その際、ゴールラインの方に流れたボールを自身の左手で止めるような形で当たっていたのが確認され、物議を醸した(アンリ自身も「決してわざとではないが、確かに手に当たった」と認めている)[27]

W杯終了後、代表引退を表明した。

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出典:Wikipedia
2019/11/15 09:30
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