ダライ・ラマ14世
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1.来歴
1.2.チベット亡命政府の長として
1950年中華人民共和国人民解放軍がチベット東部を制圧(チャムドの戦い)、1951年十七か条協定により全域を自国に併合。1953年中国仏教協会の名誉会長となり、1954年全国人民代表大会チベット民族の代表として常務委員会副委員長[32][33]に就任する。1956年には西蔵地方政府西藏自治区籌備委員会初代主任委員に選ばれ、周恩来総理インド訪問に同行する外交活動[34]などを行うも、1959年にラサで中国に対する大規模なデモが発生し(1959年のチベット蜂起)、その対応に苦慮して[注 14]、インド北部ダラムサラに亡命した。そこでガンデンポタン(チベット亡命政府)を樹立した後は、同政府の長としてチベットの高度な自治権の存在を訴える活動を行っている。

また、ガンデンポタンの長としてだけでなくチベット仏教の指導者としても、アメリカヨーロッパ諸国、日本を始めとする世界各地をたびたび訪れ、仏教の智慧に関する講演、宗教的な対話に関する講演も活発に行っている。

現在はガンデンポタンの政治的な指導者からは引退し、その地位と権限はシキョン(政治最高指導者)が担っている。

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(1.1.生い立ち - 少年期)
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(1.3.ノーベル平和賞受賞)
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出典:Wikipedia
2019/12/24 12:01
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