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セルジュ・チェリビダッケ
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2.指揮者として
2.3.ミュンヘン・フィル時代
客演指揮者として各地を転々とし、行く先々で評価を得てきたチェリビダッケであったが、1979年6月、ルドルフ・ケンペの後任を探していたミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する。きっかけは同年2月のミュンヘン・フィルにおける初指揮で、この演奏会が圧倒的な成功を収めたことだった。チェリビダッケは、新団員の多数採用、団員給与のバイエルン放送交響楽団並みへの引き上げ、プログラムや招聘する指揮者やソリストの決定に対する強い発言権など、厳しい条件を提示したが、そのほぼ全てが認められたといわれている[12]。また晩年にはミュンヘン市の芸術監督に就任した。

シュトゥットガルト放送交響楽団とは、放送用の録画が本人の意に沿わない「編集」を行われた、という理由で1982年を最後に決別した。

日本では、最初FMによるシュトゥットガルト放送交響楽団の放送で「幻の指揮者」としてファンを増やしていった。1977年秋と1978年春に単身で来日を果たし、読売日本交響楽団に客演、1980年にはロンドン交響楽団と来日した。手兵ミュンヘン・フィルとは1986年以降1990年、1992年、1993年と頻繁に訪れた。1986年の公演でのブルックナー交響曲第5番以降、ブルックナーは来日公演の主要なレパートリーとなり、1990年10月にミュンヘン・フィルとともに来日した時は、ブルックナーの交響曲第4番、第7番、第8番を指揮して、7番、8番はハイビジョンによる録画も行われている。

アメリカには、フィラデルフィアカーティス音楽学校の校長だったジョン・デ・ランシーの要請で、1984年に同校で指揮を教えた。そして、同校学生オーケストラを連れてカーネギーホールで開いたコンサートは、その素晴らしさでニューヨークの音楽界に衝撃を与えた。ニューヨーク著名の音楽評論家ジョン・ロックウェルは「いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!」とのコラムを掲載した[13]

チェリビダッケは相当な毒舌で知られ、ミュンヘン市当局は他の指揮者(クラウス・ウムバッハ)への批判を金で黙らせたとされる。また、カール・ベームが晩年にミュンヘン・フィルに客演しようとした際、チェリビダッケの毒舌(ベームを「芋袋」「ドンゴロス野郎」と呼んでいた)を耳にし、それを演奏契約解除の通告と見做して出演を取りやめた、という逸話も残っている。反面、ベームが病気のため指揮できなくなったロンドン交響楽団の演奏会をわずか1日のリハーサルで引き受けるなど、その本音はよく分からない。かつてチェリビダッケの毒舌(カラヤンはじめ他の指揮者を批判)が新聞の紙面を賑わせた際には、見かねたカルロス・クライバーが天国にいるアルトゥーロ・トスカニーニからの手紙という形をとり「ブルックナーは”あなたのテンポは全て間違っている”と言っています。天国でもカラヤンは人気者です」とユーモアに託した反論のテレックスを打ったということもあった。

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出典:Wikipedia
2019/10/16 14:00
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