スクーデリア・フェラーリ
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2.歴史
2.7.2000年代
2000年代に入り、マシン開発はエアログリップを重視する傾向が強くなる。1998年の自社風洞設備(豊富な資金をバックにした、当時最先端のもの)の完成、空力に明るいデザイナー陣の存在、ブリヂストンのフェラーリ向けスペシャルスペックタイヤ(ミシュラン参戦時)の影響など、要因は複数ある[7]が、結果として裏返しに、メカニカルグリップが求められる低中速、もしくは縁石の高いサーキットでは苦戦している。特に、ダウンフォースがほとんど期待できないモナコでは2001年以降、2017年まで16年間勝利から遠ざかっていた。皮肉にも、(モナコほどではなくとも)ホームサーキットたるモンツァもマシンコンセプトと相性が悪い。

2000年は、アーバインに代わりルーベンス・バリチェロが加入。前年第8戦イギリスGPミハエル・シューマッハが事故により欠場後、同シーズンのF399の風洞開発を止めてマシンの熟成をそれ以上行なわない代わりに、2000年シーズン用F1-2000の開発に注力する決断をしたことが功を奏し[8]、コンストラクターズと合わせ、シューマッハが21年ぶりのドライバーズタイトルをももたらした。その後、コンストラクターズ・チャンピオンシップは1999年から2004年まで6連覇し、シューマッハも2000年から2004年までドライバーズ・チャンピオンシップ5連覇(2000年から2004年にかけて5年連続ダブルタイトル)を成し遂げた。この期間のフェラーリはブリヂストンタイヤと密接な関係を築き、他チームを圧倒した。2002年カナダGPでF1通算150勝に到達し、そのシーズンは17戦中15勝、2004年も18戦中15勝と、「最強チーム」の名をほしいままにした。

しかし、2005年は新型マシンである「F2005」が新レギュレーションへの対応に失敗、21世紀になって初めてタイトルをルノーフェルナンド・アロンソに明け渡してしまう。

2006年にバリチェロの後任として同郷のフェリペ・マッサが加入する。シューマッハが再びチャンピオン争いに加わったが信頼性不足などのために序盤で落としたレースが多く、シーズン全体的に安定感を見せていたルノー+アロンソに再び敗れた。2006年末には11年間在籍したシューマッハが現役を引退(2010年にメルセデスから現役復帰)。他のロス・ブラウンなどの主要メンバーの人事異動を含め、ひとつの節目を迎えた。

2007年はシューマッハの後釜としてマクラーレンからキミ・ライコネンが加入し、マッサとコンビを組んだ。シューマッハもスーパーアドバイザーとしてチームと新たな関係を結び、ヨーロッパラウンドの数戦はレースに帯同した。シーズン序盤は信頼性に苦んでライバルのマクラーレンに後れを取ったが、一連のスパイ疑惑事件でマクラーレンがコンストラクターズ部門から除外されたため、同チャンピオンを早々と確定させる。中国GPでF1通算200勝を達成、そして最終戦ブラジルGPにおいてライコネンが逆転でワールド・チャンピオンに輝き、コンストラクター&ドライバーの二つの栄冠を奪還することに成功した。なお、ブラジルGPではマッサも2位に入って1-2フィニッシュを遂げ、最終的なシーズンポイントを204とし、マクラーレンが除外されなかった場合の203ポイントを1ポイント上回り[9]、トラック上の争いでもコンストラクターズチャンピオンにふさわしいチームであったことを証明して見せた。また、この年の年末にはチーム代表がジャン・トッドからステファノ・ドメニカリに交代した。

2008年フランスGPではF1通算200回目のポールポジションを獲得した。この年もチャンピオン争いは混沌とし、2年連続でコンストラクターズタイトルこそ獲得したものの、ドライバーズタイトルは最終戦までマッサがランキングトップのルイス・ハミルトンを追っていたが、1ポイント差で敗れた。なお2018年現在、フェラーリのタイトル獲得はこの年のコンストラクターズタイトルが最後である。

2009年シーズンは苦戦を強いられた。この年から搭載が認められたKERSF60に搭載するも、当初は入賞圏内フィニッシュさえままらないほど成績が低迷し、1993年以来16年ぶりにポールポジションを記録せず、かつコンストラクターズでも4位に転落した。また、ハンガリーGPにおいて、バリチェロのマシンから外れた部品がマッサのヘルメットを直撃し、長期離脱を余儀なくされた。その苦しい状況の中で、ライコネンがベルギーGPで勝利をあげた。

なお、マッサの代役は当初はミハエル・シューマッハが起用される予定であったが、バイクレースでの事故の首の痛みがとれず、断念。テストドライバーのルカ・バドエルを起用した。しかし成績不振のため、ヨーロッパGP・ハンガリーGPの2戦のみにとどまり、イタリアGP以降はフォース・インディアより移籍したジャンカルロ・フィジケラが担当することとなった。

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出典:Wikipedia
2019/11/19 01:30
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