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ジェノヴァ共和国
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2.歴史
2.3.海洋共和国との競争
第四次十字軍では、ヴェネツィア共和国がラテン帝国樹立に中心的な役割を担った。その結果ヴェネツィアの交易権が強化された[1]。またヴェネツィアは東地中海での交易権の大部分を手中におさめたのである。東地中海での交易においてヴェネツィアと競争関係にあったジェノヴァは、ニカエア皇帝であったミカエル8世パレオロゴス(のちにパレオロゴス王朝の祖となる)が同盟を結びたがっていることをかぎつけた。ミカエル8世は、カトリック教徒の治めるラテン帝国を駆逐し、コンスタンティノープル奪還を企んでいたのである。1261年、ジェノヴァとミカエル8世はニンファエヌムで秘密裡に同盟を結んだ[1]。1261年7月25日、ニカエア軍はジェノヴァの支援を受けてコンスタンティノープルを占領した。その結果、東ローマ帝国内での自由交易権をジェノヴァが独占することになった。これによりジェノヴァ商人が通商の管理権をも手中にし、エーゲ海にある多くの島々やそこに散らばる居留地を勢力下に置くことになった[1]キオス島レスボス島は、スミルナと同様にジェノヴァの通商基地となった。黒海における通商特権を持つのは、ジェノヴァとピサだけであった[1]

15世紀にジェノヴァはクリミア半島で多くの土地を征服し、カッファを含む居留地を設立させた。ジェノヴァを含め、イタリアの海洋共和国がこぞって黒海へ進出したのは、奴隷貿易のためであった。キリスト教徒は同じキリスト教徒を奴隷にすることを禁じられていたが、宗派の異なる正教会信徒はその対象外であった。海洋共和国の商人たちは黒海で奴隷を集め、イスラム諸国の奴隷市場で売りさばき、その売り上げで東方の貴重な香辛料やその他贅沢品を買いつけた。そして西欧へ品物を持ち帰って売買を行っていた。

再興した東ローマ帝国との関係は、ジェノヴァの富と軍事力を増大させた一方、ヴェネツィアとピサの交易収入を衰えさせた。東ローマはジェノヴァに対し、自由交易権のほとんどを与えた。1282年、ピサはジェノヴァに対する反乱を起こした判事シヌチェッロを支援し、コルシカ島における交易権と支配権を獲得しようとした[8]。1282年8月、ジェノヴァ艦隊はアルノ河岸にあるピサの通商港を封鎖した[8] 。1283年、ジェノヴァとピサはどちらも戦争準備を行った。ジェノヴァは120隻のガレー船を建造した。そのうち60隻は共和国の所有で、残りはジェノヴァ商人個人所有の船であった。15000人を超える傭兵が兵士として雇われた。ピサ艦隊は戦闘を回避し、1283年の1年間ジェノヴァ艦隊を疲弊させようとした。1284年8月5日、メロリア海戦において、オベルト・ドーリアとベネデット・ザッカリーアが率いた93隻からなるジェノヴァ艦隊は、アルベルト・モロシーニとウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ率いる72隻のピサ艦隊を打破した。ジェノヴァは30隻のピサ船を拿捕し、7隻を沈没させた。ピサ軍の半分以上であるおよそ8000人のピサ人が戦死した[8] 。敗北したピサは、コルシカ島から追われた。ピサ支配下にあったサルデーニャ島のサッサリは、以後ジェノヴァ領となった。

1283年、シチリア王国アンジュー家支配に対する反乱が起きた(シチリアの晩鐘)。アンジュー家はシチリアから追われ、代わってアラゴン連合王国の王家であるバルセロナ家、後にその分家によって王位が継承された。アラゴン側に就いたジェノヴァは、シチリアにおける自由貿易特権を獲得した。ジェノヴァの銀行は、新たにシチリア貴族となった人々への貸し付けで利益を上げた。

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出典:Wikipedia
2020/01/21 07:30
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