ジョン・F・ケネディ
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3.ハーバード大学
1936年、改めて兄のいたハーバード大学に入学した。ジョン・F・ケネディの成績ではハーバード大学入学は不可能だったが、父ジョセフの尽力のもと入学できた。在学中の成績は当初落第ぎりぎりであった[15]。このころから健康を取り戻して水泳、ゴルフ、ヨットに興じていた。

ハーバード在学中に父が在イギリスアメリカ合衆国大使に任命されたこともあり、ケネディは二度ヨーロッパを旅行して見聞を広めた。1939年にベルリンを訪れた際には、駐ベルリン米大使のアレックス・カークから「開戦近し」のメッセージをロンドンの父に届けている。そして1940年にハーバード大学の卒業論文でイギリスのチェンバレン首相とドイツのヒトラー総統とのミュンヘン会談を扱った『ミュンヘンの宥和(Appeasement at Munich)』を書き、この論文で高い評価を大学教授から得て、教授の中には出版してもいいくらいだという意見もあった[16]。早速ケネディがこの論文を父に送ると、父は自らのスピーチライターであるハービー・クレマーに推敲させ、さらに自らの御用記者としていた『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、アーサー・クロックに送った。クロックはさらに原稿を手直しし、チャーチルの著書『英国が眠っている間に(While England Slept)』を踏まえて『英国は何故眠ったか(Why England Slept)』というタイトルをつけ、父ジョセフが依頼して『タイム』および『ライフ』を創刊した保守派ジャーナリストのヘンリー・ルースに序言を書いてもらい、同年に出版した[22]。『英国は何故眠ったか』はイギリスとアメリカで8万部が売れ、ケネディはイギリスでの利益をドイツ空軍により爆撃され被害を受けたばかりだったプリマス市に寄付した。

そしてケネディは優等の成績で1940年6月にハーバード大学を卒業した。

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出典:Wikipedia
2019/05/16 22:01
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