ジョン・ドルトン
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5.公的生活と私生活
原子説を提唱する以前から科学界では有名だった。1804年ロンドン王立研究所で自然哲学の講師を務め、1809年から1810年にも講師を務めている。ただしその講義を聴講した者の言によれば、声が不明瞭で説明も要領を得ず、講師としてはあまり優秀ではなかったという。

1810年、ハンフリー・デービーが王立協会フェローにドルトンを推薦したが、ドルトンは恐らく経済的事情からこれを辞退している。しかし、1822年本人の知らないうちに王立協会フェローに選出された[6]1826年ロイヤル・メダルを受賞。1818年にはフランス科学アカデミーの通信会員に選ばれ、1830年には亡くなったデービーの代わりに同アカデミーの外国人会員に選ばれた。

1833年、首相のチャールズ・グレイはドルトンに150ポンドの年金を授与し、1836年には300ポンドに増額した。

ドルトンは1度も結婚せず、友人も少なかった。25年以上に渡って友人の W. Johns (1771–1845) とマンチェスターで同居していた。年に一度湖水地方に旅行に出かけるときと時折ロンドンに出かけるとき以外はマンチェスターで研究に明け暮れた。1822年パリを訪れ、同時代の科学者らと会っている。

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出典:Wikipedia
2019/07/03 07:30
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