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ジョン・ドルトン
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3.その後
ドルトンは原子説をトムソンに伝え、トムソンの System of Chemistry 第3版 (1807) にその概要を掲載することに同意し、自身も New System of Chemical Philosophy の第1巻の第1部 (1808) に初めて原子説を記した。同著の第2部は1810年に出版されたが、第2巻第1部が出版されるのは1827年のことである。目新しい部分は付録だけで、本体の内容に目新しさはなかったため、何故これほどまで出版が遅れたのかは不明である。また、第2巻第2部は出版されなかった。

1817年から亡くなるまでドルトンは Lit & Phil の会長を務め、多数の論文をその学会誌に発表した。ただし重要な論文は初期のものに集中している。1814年の論文では、定量分析(滴定)の原理を解説しており、その分野では最初期のものである。1840年にはリン酸塩ヒ素に関する論文を王立協会に提出して出版を断わられ、激怒して自分で出版した。その後も4つの論文が同様の経過をたどった。中でもそのうち2つ(「様々なに含まれる塩基、塩の量について」と「砂糖の新たな容易な分析法について」)はドルトン自身が原子説に次ぐ重要な論文だと考えていた。その中である種のカルボン酸無水物を水に溶かしたとき体積が増えないという現象について、水分子の隙間に塩が入り込むからだと推測している。

ドルトンの有名な弟子としてジェームズ・プレスコット・ジュールがいる。

[4]前ページ
(2.3.ドルトンの原子論の5つの原則)
[6]次ページ
(4.ドルトンの実験手法)
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出典:Wikipedia
2020/01/15 13:00
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