ジャカルタ
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2.歴史
2.3.ウェルトフレーデンの開発
フランス革命の余波によってオランダ連邦共和国が滅び、バタヴィア共和国が成立すると、バタヴィアもバタヴィア共和国の領土となった。1807年には東インド総督としてヘルマン・ウィレム・ダーンデルスがバタヴィアに赴任したが、彼はバタヴィア(現コタ地区)が瘴癘の地と化していることを知り、その南に広がるやや標高の高いウェルトフレーデン地区を開発し、ここを行政の中心とした。ウェルトフレーデンには官庁が立ち並び、ワーテルロー広場(現バンテン広場)を町の中心として開発が進められたものの、ワーテルロー広場が手狭であったためやがてその西にあった練兵場であるコーニングス広場(現ムルデカ広場)付近に官庁が移転していき、ここが街の中心となっていった。

1811年にはイギリスがバタヴィアを占領し、イギリス東インド会社の元でトーマス・ラッフルズが副総督としてこの地を統治した[7]が、1817年にはオランダ王国へと返還され、再びオランダ領東インドの政治的中心として発展していった。

1873年にはジャカルタとボゴール間に鉄道が開通し、1877年には市の北東に新港であるタンジュンプリオク港が開港した。ジャカルタの市街地は19世紀から20世紀初頭にかけて南へと一貫して伸びていった。1912年にはウェルトフレーデンの南のゴンダンディアが白人居住区となり、さらに南のメンテン地区にも住宅街が広がっていった。

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(2.2.バタヴィア市の成立)
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(2.4.日本軍による改名)
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出典:Wikipedia
2020/01/16 23:30
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