ジャカルタ
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2.歴史
2.2.バタヴィア市の成立
16世紀末に、この海域でのポルトガル香辛料独占に対抗するため進出してきたオランダは、西ジャワの王族の内紛に介入し、その一方に軍事援助を行う見返りとして、ジャヤカルタを手に入れた。1619年オランダ東インド会社総督、ヤン・ピーテルスゾーン・クーンがジャヤカルタに要塞を建設し、この地をオランダの先住民バタウィにちなんで、バタヴィアと改称した。その後、オランダ東インド会社の基地として、さらに後にはオランダ領東インド国家の中心都市として発展していくことになった[6]1629年には東隣の中部ジャワを統べる大国であったマタラム王国のスルタン・アグンが侵攻して来たものの、クーンが築いた城壁によって撃退に成功し、これがジャカルタ市拡大の契機となった。チリウン川は直線に流路を改修され、それまでチリウン川東岸に限られていた城壁が拡張されて西岸にも達し、川を市街の中心として両岸に市街地が広がるようになった。また、街の周囲には運河兼用の掘割が張り巡らされ、石やレンガ造りのオランダ風の建物が立ち並び、当初「東洋の真珠」と呼ばれる美しい町並みとなったが、この町並みはジャワの気候とは必ずしもあっていなかった上に、城壁内の風通しが悪かったことや周囲の水質悪化によって死亡率が非常に高くなり、やがて「東洋の墓場」とも呼ばれるようになった。また、このころにはジャワ人やアンボン人、スンダ人など、オランダ領東インド各地からバタヴィアへやってきた人々の混血が進み、ベタウィ人と呼ばれる新しい民族集団が誕生した。

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出典:Wikipedia
2019/08/18 22:00
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