シティ・オブ・ロンドン
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1.歴史
1.1.マグナカルタまで
現在の連合王国のローマ人による侵略は、紀元43年頃に始まった。彼らの、現在のシティにおける本来の意図は、テムズ川に橋を掛け(現在のロンドン橋)、既にあったローマ人居住区間の行き来を可能にすることであった[19]。しかし川の利用価値に気づいた[20]。そこで紀元50年頃に川の北岸に居留地を作り、ロンディニウム(Londinium)と名付けた。

3世紀末に反乱がおき(Carausian Revolt)、4世紀後半にハドリアヌスの長城が破られた。ピクト人サクソン人、スコットランド人ら地元勢力が力を示した。410年ホノリウスが諸都市に自衛を命じてブリテン島の防衛を放棄してしまった。6世紀にアングル人とサクソン人の部族国家が生まれ、七王国の基礎となった。9世紀、ベオルンウルフが凋落しアルフレッド大王が台頭した。この時代にロンドンは再入植のうえ独立行政区となった。10世紀初頭ムスリムの世界的な商圏で銀貨の不足がおこり、交易ルートの北限であったヴァイキングの侵攻に隙が生まれ、アゼルスタンがデーンロウの奪還に成功した。ウェセックスによる開拓地であったシティは、ドゥームズデイ・ブック(1085年)にも載らなかった。

12世紀ヨーロッパ人、特に北イタリアのロンバルディア人が移住してきた(ロンバード・ストリート)。このころシティ議会の原型が生まれた[21]。1215年のマグナ・カルタはシティが国際市場化するきっかけとなった。シティは、1203年までに24区に分けられていたが、1394年にファリントン区(Farrington Ward)が二分され25区となった[22]。シティ参事会は各区長で構成され、そこから毎年の長を選んだ[23]。区長は各区の市議会と行政を担った。参事会と市議会の双方に、同業者ギルドが多くの代表を出した。

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(1.2.国際金融市場の形成)
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出典:Wikipedia
2019/11/11 12:01
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