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シアトル・マリナーズ
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概要
シアトル・マリナーズ英語: Seattle Mariners、略称:SEA)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はワシントン州シアトルにあるT-モバイル・パーク。MLB球団としては最も北(北緯47度35分)に本拠地を持つ。チーム名(船員水兵の意)の由来はシアトルが港町だったことからといわれている。

MLB30球団で唯一、リーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たしたことがなく[1]現在MLB30球団でワールドシリーズのみならず、ポストシーズン進出から最も遠ざかっているチームである[2][3]

球団の歴史[編集]

球団創設以前[編集]

1969年に実施されたアメリカンリーグの球団拡張に際して、シアトルにパイロッツ(Pilots)というMLB球団が創設された。しかし、赤字続きだったパイロッツは経営難に陥り、わずか1年でミルウォーキーへと移転。移転した球団はミルウォーキー・ブルワーズとなった。シアトルは、この移転が不当であるとしてMLB機構を告訴。この訴訟は1976年まで続けられたが、MLB機構が1977年のアメリカンリーグ球団拡張でシアトルに球団を設置するという条件を提示、告訴は取り下げられた。

球団創設から1990年代まで[編集]

1977年に球団創設。名称を一般公募した結果、マリナーズ(Mariners)が選ばれた。監督にはダレル・ジョンソンが就任。同年4月6日、球団史上初の試合となる開幕戦が、完成直後のキングドームで行われた。対戦相手はカリフォルニア・エンゼルス。開幕のマウンドに上がったのは、かつてパイロッツで開幕投手を務めたディエゴ・セギーだった。この試合には57,762人もの大観衆が詰め掛けたが、7対0のスコアで大敗を喫した[4]。その後もチームは低調なまま、64勝98敗という成績でシーズン終了。そして、ここから14シーズン連続負け越しという長きに渡る低迷期が続く。
1989年ジム・ラフィーバーが監督に就任。'80年代の低迷期を支えたマーク・ラングストンを放出しての交換トレードで獲得したランディ・ジョンソンの成長や、1987年ドラフト会議 (MLB)で全米1位で指名したケン・グリフィー・ジュニアの成長もあって次第にチーム力は向上し、1991年には球団創設15シーズン目にして初の年間勝ち越し(83勝79敗)を達成。ラフィーバー監督はこのシーズン限りで退任する。

ルー・ピネラ監督就任から退任まで[編集]

1993年ルー・ピネラが監督に就任すると、1995年に初の地区優勝。また1997年にも2度目の地区優勝を果たす。しかし、いずれの年もプレーオフで敗退を喫し、リーグ優勝を逃した。この間、ケン・グリフィー・ジュニア、エドガー・マルティネス、ランディ・ジョンソン、アレックス・ロドリゲスらが主力として活躍。その後、FAやトレードなどで地区優勝時に活躍した主力選手の大半がチームを去ったが、2000年にはワイルドカードでプレーオフに進出、2001年には年間116勝のMLBタイ記録を樹立して地区優勝を果たしている。しかしながら、2000年、2001年はいずれもリーグチャンピオンシップシリーズニューヨーク・ヤンキースに敗れる。計4度に渡ってリーグ優勝、ワールドシリーズ進出を逃している。また、この間にジョン・オルルド佐々木主浩イチローブレット・ブーンらが加入し、主力として活躍。その後、2002年のシーズン終了をもって、ルー・ピネラが監督を退任した。

ルー・ピネラ監督退任後[編集]

ルー・ピネラが監督を退任した後、チーム成績は低迷を続け、2003年から2012年までの10年間に地区最下位が7度、2008年2011年にはシーズン100敗を喫した。この間、GM以下、監督、コーチが数多く更迭され、主力選手もトレードやFA、引退、あるいは不振による解雇などでチームを去った。

2013シーズンからテレビ局との新契約が始まり、年間約11億5000万ドルの放映権が得られるようになった[5]

2012年からヒューストン・アストロズが同地区に所属したこともあり、最下位とはならずとも地区優勝には遠いシーズンが続いた。2018年には89勝と健闘したものの、そのオフに大胆な再建に踏み切った。トレードで、ロビンソン・カノジェームズ・パクストンエドウィン・ディアスアレックス・コロメジーン・セグラなどの主力を次々と放出した。

運営[編集]

1992年から2004年8月までは、任天堂相談役の山内溥が共同オーナーの一人として名前を連ねていた。その後は、任天堂の米国法人であるNintendo of America(NOA)が山内の出資持ち分全てを買い取り、筆頭オーナーとなった。その関係で球団会長兼CEOをNOA元会長のハワード・リンカーンが務めていた[6]が、2016年4月、NOAはリンカーンの勇退申し出により、NOAが保有する出資持ち分の一部を譲渡する交渉を開始したことを明らかにした[7]。2016年8月にオーナー会議で承認され、持ち分を10%を残して他の共同オーナーへ売却した。これに伴いリンカーンは球団会長兼CEOから退いたが、取締役としては残留した。後任の筆頭オーナーはマイクロソフト取締役などを務めている地元シアトルの実業家ジョン・スタントンが就いた。この売却により任天堂は筆頭株主ではなくなったが、引き続き持ち分保有は続けることになった。これは共同オーナーたちがNOAに対して、引き続き持ち分の保有を要請したことによる[8]

なおセーフコ・フィールドの一室にはオーナーとして山内の写真が掲げてあったが、本人は現地に赴いたことがなかった[9]。因みに上記の売却方針は山内の生前の2012年7月の時点ですでに決められていたという。当時のNOA会長で売却の決定を行った君島達己社長(肩書当時)によれば、この時点で既に高齢となっていたリンカーンの勇退を見据えた話し合いが行われたが、任天堂(及びNOA)から適当な後任を出せないとなったことから、山内がオーナーとなったそもそもの経緯でもある「マリナーズをシアトルから移転させてはならない」という絶対条件が確約される状況が確認されれば、共同オーナーたちに売却する方針が決められたとのこと[8]

日本との関わり[編集]

前述の任天堂との関わりに見られるように、MLB各チームの中では特に日本と接点があるチームである。開幕シリーズなどを日本で開催した実績もあり、1998年以降、日本人選手が在籍し続けている[10]
在籍した日本人選手は以下の通りである。

マック鈴木 (1996年、1998年 - 1999年)
佐々木主浩 (2000年 - 2003年)
イチロー (2001年 - 2012年、2018年 - 2019年)
長谷川滋利 (2002年 - 2005年)
木田優夫 (2004年 - 2005年)
城島健司 (2006年 - 2009年)
岩隈久志 (2012年 - 2017年)
川崎宗則 (2012年)
青木宣親 (2016年)
菊池雄星 (2019年 - )
平野佳寿 (2020年 - )

習慣[編集]

ラリー・フライ[編集]

ラリー・フライ(RALLY FRIES)は、マリナーズのブロードキャスターであるマイク・ブロワーズによって、2007年から開始された習慣である。ラリー・フライが始まったきっかけは、対シンシナティ・レッズの試合中、あるファンがファウルボールを捕ろうとしてフライドポテトの入ったトレイをこぼしたことであった。放送の実況中にこれを見ていたブロワーズの相方デイブ・シムズは、新たなフライドポテトをファンに奢るようブロワーズに持ちかけた。ブロワーズはこれに同意して、新たなフライドポテトをファンに届けるために彼の代理を行かせた[11]

これが仇となったのか、次の試合からファンはメッセージの入ったボードを作り、ブロワーズに無料のフライポテトを求め始めたのである。また偶然にも、フライドポテトが届けられるたびに、マリナーズが得点したり、同点に追いついたりした。こうして、ラリー・フライは誕生した。このラリー・フライは、敵地ですらボードが作られるほど人気があったものの、2009年の8月1日にブロワーズが「敵地では、ラリー・フライの対象を選ばないことにするよ。」と宣言して敵地での配布は取りやめになった。

ラリーフライを求めるファンやグループは大抵の場合、凝ったコスチュームを着ていたり、おかしなメッセージの書かれたボードを振っていたりするが、これは配布の対象がブロワーズの裁量で決定されるためである。また、配布の対象は通常の場合5〜6回ごろに選ばれるが、潜在的な候補は事前に大抵の回で示される。配布されるフライドポテトは、アイヴァーズ(Ivar's)(T-モバイル・パーク内にあるシーフード・レストラン)から提供され、量は配布の対象となる人数によって異なる。

選手名鑑[編集]

現役選手・監督・コーチ[編集]

所属経験のある殿堂表彰者[編集]

ゲイロード・ペリー(Gaylord Perry)
リッチ・ゴセージ(Rich "Goose" Gossage)
ディック・ウィリアムズ(Dick Williams)− 監督
リッキー・ヘンダーソン(Rickey Henderson)
ランディ・ジョンソン(Randy Johnson)
ケン・グリフィー・ジュニア(Ken Griffy Jr.)
エドガー・マルティネス(Edgar Martinez)

永久欠番[編集]

マリナーズには永久欠番の制定に関する基準が存在する。下記のいずれかの条件に該当する人物が対象となる。2016年1月にケン・グリフィー・ジュニアアメリカ野球殿堂入りし、初めてマリナーズ独自の欠番に指定された[12]エドガー・マルティネスは殿堂入りを待たずに「生え抜き」の条件が適用されて2017年に永久欠番になった。

マリナーズの生え抜きでキャリアを終える
マリナーズに5年以上在籍し、アメリカ野球殿堂入りする
11 エドガー・マルティネス(Edgar Mart?nez)
24 ケン・グリフィー・ジュニア(Ken Griffy Jr.)
42 ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson) - 全球団共通の永久欠番

マリナーズ野球殿堂[編集]

1997年に設立され、9人が殿堂入りを果たしている。

殿堂入り表彰者[編集]

アルビン・デービス(1997年)
デイブ・ニーハウス(2000年)
ジェイ・ビューナー(2004年)
エドガー・マルティネス(2007年)
ランディ・ジョンソン(2012年)
ダン・ウィルソン(2012年)
ケン・グリフィー・ジュニア(2013年)
ルー・ピネラ(2014年)
ジェイミー・モイヤー(2015年)

傘下マイナーチーム[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

メジャーリーグベースボール
アメリカンリーグ

外部リンク[編集]

公式ウェブサイト
マリナーズ野球殿堂サイト
チームの通算成績と情報 MLB, or  ESPN, or  Baseball-Reference , or  The Baseball Cube
Seattle Mariners - Facebook
Seattle Mariners (mariners) - Instagram
Seattle Mariners (@Mariners) - Twitter
出典:Wikipedia
2020/03/14 12:00
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