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サンデーサイレンス
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概要
サンデーサイレンス: Sunday Silence1986年 - 2002年)は、アメリカ合衆国生まれの競走馬種牡馬である。

※文中の「GI級競走」は日本のパート1国昇格前および昇格後のGI競走とJ・GI競走、ならびに昇格後のJpnI競走を指す(詳細については競馬の競走格付けを参照)。

概要[編集]

1988年10月に競走馬としてデビュー。翌1989年アメリカ三冠のうち二冠ケンタッキーダービープリークネスステークス)、さらにブリーダーズカップ・クラシックを勝つなどG1を6勝する活躍を見せ、エクリプス賞年度代表馬に選ばれた。

1990年に右前脚の靭帯を痛めて競走馬を引退。引退後は日本社台スタリオンステーションで種牡馬入りし、初年度産駒がデビューした翌年の1995年から13年連続で日本のリーディングサイアーを獲得[3]。さらに中央競馬における種牡馬にまつわる記録を次々と更新した。サンデーサイレンスを起点とするサイアーラインは、日本競馬界における一大勢力となり、サンデーサイレンス系とも呼ばれる。そのイニシャルからSSと呼ばれることもある。

2002年8月19日に、左前脚に発症した蹄葉炎を原因とする衰弱性心不全のため、16歳で死亡。幼少期は見栄えのしない容貌ゆえに買い手がつかず、生命にかかわる事態に見舞われながら、競走馬、さらに種牡馬として成功した生涯は、童話『みにくいアヒルの子』に喩えられる[4][5][6]

生涯[編集]

誕生からデビューまで[編集]

誕生[編集]


サンデーサイレンスは1985年繁殖牝馬ウィッシングウェルと種牡馬ヘイローが交配された結果、翌1986年3月25日アメリカ合衆国ケンタッキー州にあるストーンファームで誕生した。両者が交配された要因は、ニックスとされるマームードインブリード(4×5)が成立することにあった[7]

サンデーサイレンスの毛色は、生国のアメリカでは「黒鹿毛ないし青鹿毛 (Dark Bay or Brown)[2]」となっているが、のちに輸入した日本では「青鹿毛[1]」と登録されている [† 2]

見栄えが悪く、売れ残る[編集]


幼少期のサンデーサイレンスは体格が貧相で、後脚の飛節[† 3]が両後脚がくっつきそうなくらいに内側に湾曲[† 4]していた[9]。ストーンファームの経営者アーサー・ハンコック3世は幼少期のサンデーサイレンスについて「脚がひょろ長くて、上体は華奢」であったと述べている[4][10]。さらに、幼少期のサンデーサイレンスの馬体はくすんだ鼠色をしており[4][9][† 5]、その容貌は、テッド・キーファー[† 6]がストーンファームを訪れた際に必ず「あの真っ黒いケダモノをどこかへやってくれ。まったく、あんなひどい当歳(0歳)馬は見たことがないぞ」「あのウィッシングウェルの当歳は目にするのも不愉快だ」と言うほど見栄えがしなかった[12]

ハンコックによると、それでも前より良くなっているといくら言ってもキーファーは聞く耳を持たなかったといい、ある時にはキーファーがサンデーサイレンスに対して辛らつな言葉を浴びせていると、ストーンファーム牧場長のピート・ローガンがケンタッキーダービー馬のような一流の競走馬にも様々なタイプがいるものだと口を挟み、「まあキーファーさん、世の中わかりませんよ。この馬だっていつかバラのレイが似合うようになるかもしれないじゃありませんか」と諭すと、キーファーは即座に「あのろくでなしにバラのレイが似合うのは、墓に入った後だけさ」と言い返したという[12]。また気性が激しく、扱いの難しい馬であった[13]

サンデーサイレンスは1986年11月27日のサンクスギビング・デーの日にウイルス性の腸疾患にかかり[14]、数日にわたってひどい下痢を起こして生死の境をさまよった[8][15][16]。何人かの牧場スタッフと敷地内に住居を構える獣医のカール・モリソンが付き添い、失われた水分を補給するため何リットルもの点滴をひっきりなしに行ったもののなかなか回復しなかった。その後怒りを抑えられなくなり仕事を投げ出したモリソンからは見放されたものの、1日中23リットルもの点滴を続け、危機を脱した[14]

サンデーサイレンスは1987年ケンタッキー州で行われる世界的に有名なセリ市のキーンランド・ジュライセールに出品されたが、馬体の見栄えが悪かったサンデーサイレンスはセレクトセール[† 7]への出品が許可されず、一般部門に出品された[17]。サンデーサイレンスには1万ドルの値がついたが、安すぎると感じたハンコックは1万7000ドルで買い戻した。ハンコックは、サンデーサイレンスを買い戻したことをトム・ティザム[† 8]に報告し、買い取ってもらおうとしたが、ティザムは「所有する意思がない」と答えた(テッド・キーファー[† 6]のアドバイスによるものだった)ため、そのままハンコックが所有することとなった[18][19]。翌1988年3月、サンデーサイレンスはカリフォルニア州で行われたトレーニングセールに出品されたが、希望販売価格の5万ドルに届かず、3万2千ドルでふたたびハンコックに買い戻された[10][20][15]。さらにハンコックは複数の競馬関係者に購入の打診をしたが、ことごとく断られた[10]

ハンコックはサンデーサイレンスをキーンランド・ジュライセールで買い戻したあと、同馬を友人のポール・サリバンと半分ずつの持ち分で共有した[21]。その後サリバンは、カリフォルニア州のトレーニングセールで買い戻された時期に所有する競走馬の調教費と相殺する形で調教師チャーリー・ウィッティンガムに持ち分を売却し[22]、ウィッティンガムは、そのうちの半分を友人の医師アーネスト・ゲイラードに売却した[23][† 9]

しかし、カリフォルニア州からケンタッキーに戻るセリからの帰り道では、道のりの半ばのちょうどテキサス州ニューメキシコ州オクラホマ州との間に細長く突き出ているあたりに差し掛かったところでトラック運転手が突然心臓発作を起こして馬運車が大きく傾きながら横転する事故に遭った[25]。サンデーサイレンスは奇跡的に一命を取り留めて競走能力こそ失わなかったものの、全身に無数の切り傷と打撲を負い、しばらくまっすぐに歩けなくなるほどの重傷を負った[8][25][26]。このとき馬運車を運転していた運転手、馬運車に乗っていたサンデーサイレンス以外の競走馬はすべて死亡した[27]。サンデーサイレンスはその後オクラホマ州の獣医病院に搬送され、2週間後に退院してケンタッキーに戻った[25][† 10]

競走馬時代[編集]

1988年・1989年[編集]


競走内容[編集]
サンデーサイレンスは、同馬の所有権を4分の1持つチャーリー・ウィッティンガムが管理することとなった。調教を進めるなかでサンデーサイレンスの能力を感じ取ったウィッティンガムは、ハンコックに「あの真っ黒い奴は走る」と電話で報告し、ハンコックを驚かせた[28]。サンデーサイレンスは1988年10月に初めてレースに出走したが2着に敗れ、翌11月に初勝利を挙げた。12月の一般競走でふたたび2着に敗れたあと、ウィッティンガムは余力を残した状態で休養をとらせることにした[29]

1989年3月2日、サンデーサイレンスはサンタアニタパーク競馬場で行われた一般競走でレースに復帰して優勝。さらに同月19日、重賞 (G2) のサンフェリペハンデキャップをスタートで出遅れながら優勝した。この段階で主戦騎手パット・ヴァレンズエラは「今まで乗った中でも最高の3歳馬」と評し、ウィッティンガムは「ケンタッキーダービーでも5本の指には入るだろう」と述べた。サンデーサイレンスはケンタッキーダービーの優勝候補として競馬ファンに認識され始めた[30]

ウィッティンガムはサンデーサイレンスのケンタッキーダービー出走について「サンタアニタダービーが終わるまでは分からない」とも述べていた[31]が、4月8日にサンタアニタダービーを11馬身差というレース史上最大の着差[32]で優勝したことを受けてケンタッキーダービー出走を正式に表明。4月半ばにはケンタッキーダービーに備え、同レースが行われるチャーチルダウンズ競馬場へサンデーサイレンスを移送した[33]。ケンタッキーダービーはレース前日に20mmを超える雨が降り、1967年以来といわれる悪い馬場状態で行われ[34]、さらに発走時の気温は摂氏6.1℃でレース史上最低であった[35]。サンデーサイレンスはスタートで体勢を崩し他馬と激しく接触し、直線で左右によれる素振りを見せる場面も見られた[† 11]が、1番人気のイージーゴアに1馬身半の着差をつけ優勝。レース後、ウィッティンガムは「この馬は三冠馬になる」と宣言した[37]

ケンタッキーダービー優勝後、アメリカ三冠第2戦のプリークネスステークスに出走するまでの過程は平坦なものではなかった。まずレース1週間前の5月13日、サンデーサイレンスの右前脚に問題が発生(獣医師の診断は打撲または血腫による跛行)し、レースの4日前まで調教が行えなくなるアクシデントに見舞われた[38][39]。さらにサンデーサイレンスはレースまでの期間をピムリコ競馬場で過ごしたが、数百人にものぼる観光客やマスコミが馬房に押しかけ、サンデーサイレンスは苛立った様子を見せるようになった。陣営は馬房の扉を閉めてサンデーサイレンスを隔離する措置を講じた[40]。ケンタッキーダービーを優勝したサンデーサイレンスであったが、実力はケンタッキーダービーで1番人気に支持されたイージーゴアのほうが上と見る向きが多く、プリークネスステークスでもイージーゴアが1番人気に支持され、サンデーサイレンスは2番人気であった。レースは中盤を過ぎてからイージーゴアがサンデーサイレンスの外に進出し、サンデーサイレンスが前方へ進出するためのスペースを塞ぐ展開となった。そのままイージーゴアは先頭に立ったが、サンデーサイレンスが猛然と追い上げ、15秒以上にわたる競り合いの末、数センチの差でサンデーサイレンスが先着し優勝した[41][42]。このマッチレースはアメリカ合衆国の競馬専門誌『ブラッド・ホース』で行われた読者によるアンケートで、年間ベストレースに選出されている[43]

ベルモントステークスではアメリカ三冠達成の期待がかかり、サンデーサイレンスは、イージーゴアと対戦したレースで初めて1番人気に支持された。レース前の盛り上がりはニューヨーク競馬協会が発行した取材許可証の多さにも表れ、その数は、ソ連(当時)の共産党機関紙「プラウダ」の記者分を含めて1300枚だった[44]。しかしレースでは残り400メートルの地点でイージーゴアに交わされるとそのまま差を広げられ、8馬身の着差をつけられ2着に敗れた[45]。レース後、三冠のプレッシャーはあったかと問われたウィッティンガムは、「三冠レースなんてプレッシャーとは言えないさ。プレッシャーなんてものは、50年前にサンフランシスコのハイポケッツ・ケリー・ホテルの一室に12人で寝泊まりしていて、しかも誰も部屋代を払える余裕がなかった頃以来、感じたことはないよ。あれこそプレッシャーと呼ぶにふさわしい心境だったな」と答えた[46][47]。三冠達成はならなかったもののサンデーサイレンスは三冠レースで最高ポイントを得て、Visa提供のボーナス100万ドルを獲得した[48]

ベルモントステークス出走後、ウィッティンガムはブリーダーズカップ・クラシック優勝を次の目標に据えた。ウィッティンガムはじめ厩舎スタッフはサンデーサイレンスが調教に行きたがらないそぶりを見せていたため体調の低下を感じ取っていたが、短い休養を取らせたあとで、6週間後にハリウッドパーク競馬場で行われるスワップスステークスに出走した。単勝1.2倍の1番人気に支持され、6倍で2番人気に推されたのは、かつてウィッティンガムの下で助手をしていたニール・ドライスデールが管理するプライズドであり、プライズドには120ポンドのハンデが課され、サンデーサイレンスには三冠レースで全ての出走馬が背負うのと同じ126ポンドが課された[49]。レースでは出走馬に逃げ馬がいないと判断したヴァレンズエラがサンデーサイレンスにハナを切らせ、残り1ハロンのところでは2番手との差を4馬身に広げていたが、直線半ばの発送ゲートが設置された地点の脇辺りに差し掛かったところで突如失速し、プライズドに交わされ2着に敗れた[50][† 12]。レース後、ウィッティンガムはレース途中でほかの馬を引き離し過ぎたことに不満を表した[51]合田直弘はヴァレンズエラがサンデーサイレンスに鞭を入れ過ぎたことを敗因に挙げている[† 13][53]。敗戦を受けて陣営は万全の体調でブリーダーズカップ・クラシックに出走できるよう態勢を整えることにした[51]。9月に入り、ウィッティンガムはブリーダーズカップ・クラシックに向けた前哨戦としてルイジアナ州ルイジアナダウンズ競馬場で行われるスーパーダービーへの出走を決めた。この時期にはサンデーサイレンスの体調は回復しており、レースでは2着に6馬身の差をつけて優勝した[54]

ブリーダーズカップ・クラシックの1週間前、サンデーサイレンスの主戦騎手パット・ヴァレンズエラに対して薬物(コカイン)検査で陽性反応が出たことを理由に60日間の騎乗停止処分が下され、急遽クリス・マッキャロンに騎手が変更されるアクシデントがあった。しかしサンデーサイレンス陣営は同期のライバルであるイージーゴアが抱えていた脚部不安が深刻化していたことを察知し、勝利に対する自信を深めた[55]。ベルモントステークスのあとG1を4連勝したイージーゴアもブリーダーズカップ・クラシックに出走することが決まり、このレースはエクリプス賞年度代表馬をかけた対決となり、競馬関係者のなかには2頭の対決をボクシングヘビー級のタイトルマッチに例えたり「10年に一度の大一番」と呼ぶ者もいた[56]。レースではイージーゴアが1番人気に支持され、サンデーサイレンスは2番人気であったが、残り200メートルの地点で先頭に立つとイージーゴアの追い上げをクビ差しのいで優勝した[57]。レース後、ウィッティンガムはサンデーサイレンスを、自身が管理したなかで「文句なしに最高の馬」と評している[58]。この年、サンデーサイレンスは北アメリカにおける1年間の獲得賞金記録(457万8454ドル)を樹立した。さらに翌1990年1月、1989年度のエクリプス賞年度代表馬、および最優秀3歳牡馬に選出された[59][60]

イージーゴアとの対決[編集]
三冠競走では、イージーゴアがサンデーサイレンスのライバルとなった。血統背景が優れている点、馬体が美しい点などから、イージーゴアはサンデーサイレンスとは対照的な馬とされる[61]。イージーゴアはケンタッキーダービーが行われる前から競馬マスコミによって「セクレタリアトの再来か?」、「今、その存在は伝説となりつつある」と評されるなど高い評価を集め、ケンタッキーダービー、さらには同レースでサンデーサイレンスに敗れた直後のプリークネスステークスでも1番人気に支持された[62]。前述のように三冠競走をサンデーサイレンスの2勝1敗で終えたあと、イージーゴアがG1を4連勝し、サンデーサイレンスがG1のスーパーダービーを優勝して迎えたブリーダーズカップ・クラシックはエクリプス賞年度代表馬をかけた対決となり、「10年に一度の大一番」といわれた[63]。2頭の関係はアファームドアリダーの再来、競馬史上最高のライバル関係と評された[64]

サンデーサイレンスとイージーゴアとの比較についてウィッティンガムは、サンデーサイレンスの得意距離は1600メートルから2000メートルで、イージーゴアは一流のステイヤーと述べている[65]レイ・ポーリックは、「サンデーサイレンスは敏捷な馬でコーナーを回りながら加速することができたため、カーブがきつい競馬場を得意とし、一方イージーゴアは長い直線では圧倒的なパワーを発揮するが、きついカーブを苦手としていた」と分析している[66]

なお、イージーゴアはクレイボーンファームで生まれた競走馬である。サンデーサイレンスの馬主アーサー・ハンコック3世はクレイボーンファームの経営者ブル・ハンコックの息子であったが、父の死後後継者に指名されなかったことに不満を覚え、クレイボーンファームと袂を分かった過去があった。さらにイージーゴアの名義上の生産者であり馬主であったオグデン・フィップスは、顧問としてクレイボーンファームの後継者指名に関与していた[67]

薬物疑惑[編集]
前述のように、サンデーサイレンスはプリークネスステークスの直前期に脚部に問題を抱え、短期間で回復した。サンデーサイレンスの治療にあたった獣医師のアレックス・ハートヒルによると、施された処置は脚部をエプソム塩に浸して血液の循環を促進したあとで患部に湿布を貼るというものであった[68]が、同じ時期に、前述のように厩舎サイドが観光客およびマスコミに苛立つサンデーサイレンスを隔離するために、馬房の扉を閉める措置を講じたことから、馬房のなかで違法な処置がとられているという疑惑を口にするマスコミ関係者が現れた[69]。三冠の最終戦のベルモントステークスを前に、ニューヨーク州の競馬当局は同レースが行われるベルモントパーク競馬場の厩舎エリアへのハートヒルの立ち入りを禁止した[70]

1990年[編集]


古馬になればもっと強くなる」というウィッティンガムの主張により、サンデーサイレンスは1990年も現役を続行することになった
[71]。ブリーダーズカップ・クラシックのあと、サンデーサイレンスは脚部に複数の故障(膝の剥離骨折と軟骨の痛み)を発症したため、骨片の摘出手術を行ったあとで休養に入った[72]。1990年の3月に調教が再開された際にウィッティンガムは「ここからきっかり3ヵ月でレースに出られるように仕上げてみせる」と宣言し、宣言通り6月のカリフォルニアンステークスでレースに復帰させた[73]。このレースをサンデーサイレンスは逃げ切って優勝した。2着馬との着差は4分の3馬身であったが、これは今後のハンデキャップ競走で重い斤量を課されないために、着差をつけないで勝つようウィッティンが指示を出したためであった[74]。なおこのレースでは、当初ブリーダーズカップ・クラシックでサンデーサイレンスに騎乗したクリス・マッキャロンが引き続き騎乗する予定であったが、当日に行われた別のレースでマッキャロンは落馬し、復帰まで5か月を要す大怪我を負った。これによりパット・ヴァレンズエラがふたたび主戦騎手を務めることになった[75]

続いてサンデーサイレンスは中2週ハリウッドゴールドカップに出走した。レースでは直線に入りクリミナルタイプとのマッチレースとなったが交わせず、アタマ差の2着に敗れた。敗因として、ウィッティンガムとヴァレンズエラはともにクリミナルタイプより5ポンド重い斤量を課されたことを挙げている[76]。合田直弘とハンコックは、ヴァレンズエラが鞭を入れ過ぎたことを挙げている[† 13][71][77]

その後、サンデーサイレンスはアーリントンパーク競馬場がサンデーサイレンスとイージーゴアを対決させる意図で企画した特別招待レース(アーリントンチャレンジカップ、8月4日開催予定)を目標に調整された[78]。7月半ばにイージーゴアが脚部の骨折により競走馬を引退し、対戦が不可能になってからも、出走予定は変更されなかったが、レース直前に左前脚をかばう素振りを見せた。診察の結果左前脚にある「XYZ靭帯」と呼ばれる、馬の体重を支えるのに不可欠と言われている靱帯に小さな断裂が見つかり、獣医師のハートヒルは引退を勧告。陣営はそれに従い、引退を決定した[79]

競走成績[編集]


"S"はステークス、"C"はカップ、"H"はハンデキャップの略。

種牡馬時代[編集]

ハンコックは総額1000万ドル(1株25万ドル×40株)のシンジケートを組み、サンデーサイレンスにアメリカで種牡馬生活を送らせる予定だった。しかし、ヘイロー産駒の種牡馬成績が優れなかったことや[† 14]ファミリーラインに対する評価の低さから種牡馬としてのサンデーサイレンスに対する評価は低く[81]、株の購入希望者は3人にとどまり、種付けの申込みを行った生産者はわずか2人であった[82]

そんな中、1990年はじめに、ハンコックから250万ドルで持ち分の半分(全体の4分の1)を買い取っていた日本の競走馬生産者吉田善哉[83]が、サンデーサイレンスの購入を打診してきた[84]。当時ハンコックは、ストーンファームの経営を拡大させる中で出来た負債を抱えており[85]、経済的事情から「他に道はない」と判断し、サンデーサイレンスを売却することにした。

吉田善哉が購入のために使った金額は1100万ドル(当時の為替レートで約16億5000万円)であった[† 15][84]。吉田善哉の子吉田照哉によると、取引成立には善哉とウィッティンガム、さらに照哉とハンコックとの間に交友関係があったことが大きく作用しており、「築きあげてきた人脈なくしては不可能だった」[86]。照哉はかつてクレイボーンファームに隣接するフォンテンブローファームの場長を務めたことがあり、その縁でハンコックとは親しい間柄であった[87]。しかしながら、この取引は当時、「日本人のブリーダーがとても成功しそうにない母系から生まれたヘイロー産駒を買っていった」とアメリカの生産者の笑いものになった[88]。一方、「欧米の超スーパーホースが、いきなり日本で種牡馬入りするというのはまずあり得ない」と考えられていた当時の日本競馬界では衝撃をもって受けとめられ[89]、血統評論家の吉沢譲治は「野球に例えるなら、メジャーリーグで現役バリバリの奪三振王ホームラン王が、何かの間違いで日本の高校野球に入ったようなものだった」と評している[90]

作家の吉川良によると、吉田善哉がサンデーサイレンスの購入を思い立ったのは、同馬が勝ったプリークネスステークスのビデオを観たときのことである。吉田善哉は吉川の前で「欲が出るね。これは忙しくなる。わたしか照哉がしばらくアメリカに下宿しなくちゃならなくなるかもしれんな」と述べたという[91]。実際に購入に踏み切った動機について作家の木村幸治は、「社台ファームで繋養されていた種牡馬ディクタス1989年9月20日に死亡したため、その後釜を探していたのだ」と推測している[92]。木村によると当時社台ファームにはノーザンテーストリアルシャダイ、ディクタスに続く種牡馬を導入し、生産馬について「同じ系統の馬だけが増加し、近親の度合いが濃くなり過ぎる」ことを解消しようとする動きがあった[93]。吉田善哉は、サンデーサイレンスが勝ったブリーダーズカップクラシックを現地で観戦して帰国後、「サンデーサイレンスを早来に持ってくるぞ」と宣言した[94]。ハンコックによると、購入交渉における吉田善哉の「サンデーサイレンスに対する執着心は度外れたものだった」[95]。吉田善哉は、サンデーサイレンス産駒のデビューを見ることなく、1993年8月にこの世を去っている。吉田善哉は生前、吉川良に次のように語っていた。

ノーザンテーストと同じくらい走ると信じてるサンデーサイレンスの子を走らせればね、そのうち、何十年したって、日本のあちこちでサンデーの血が走るわけだね。わたしは生まれ変われないが、わたしのね、馬屋の意地は生まれ変われるんだ ? 吉川1999、412頁。
吉田善哉に購入されたサンデーサイレンスは日本へ輸入され、1991年から社台スタリオンステーションで種牡馬生活を開始した。種牡馬入りに際し、総額25億円(4150万円×60株)のシンジケートが組まれた[96]。シンジケートは満口となった[96][97]ものの、当初サンデーサイレンスの評価はさほど高くなかったうえに種付料が1100万円と高額であったため、期待されていたほどの交配申し込みはなく、もっとも多く交配したのは吉田善哉が経営する社台ファーム千歳(現在の社台ファーム)に繋養されていた繁殖牝馬であった[† 16]が、その結果誕生した馬に対する同牧場の関係者の評価は高くなかった。しかし、1994年6月にデビューした初年度産駒は、社台ファームの関係者にとっても予想を上回る活躍をし[99]、約半年の間に30勝(重賞4勝)を挙げた。

サンデーサイレンスはその後も活躍馬を次々と輩出し、初年度産駒がデビューした翌年の1995年リーディングサイアーを獲得。2世代の産駒だけでリーディングサイアーを獲得というのは中央競馬史上初の記録[† 17]である。以後2007年まで13年連続でリーディングサイアーに君臨した[† 18]。同じく1995年に種牡馬としての中央競馬獲得賞金記録を更新。その後もサンデーサイレンスは、中央競馬における種牡馬に関する記録を次々と更新(詳細については#記録を参照)、産出された12世代すべてからGI級競走優勝馬が登場し、産駒は日本の中央競馬の24あるGI級競走のうち、20で勝利を収めた[† 19]。産駒のうちディープインパクトスティルインラブが中央競馬における三冠を達成しているが、三冠馬を二頭、それも牡牝双方で輩出した種牡馬は、サンデーサイレンスただ一頭である。

種付け料は、初年度1100万円でスタートし、3年後800万円まで下がったものの、初年度産駒の活躍以降は高騰を続け、2500万円(不受胎8割返金条件付き)にまで上がった。種牡馬として導入された当初は、ノーザンテースト系をはじめアウトブリードできる優秀な配合相手を選べたことが大きな強みになった[101]。種付け頭数も生産者の要望に応える形で年を追うごとに増加し、2001年は年間200頭を超える繁殖牝馬と交配された[102]。それまで日本の競走馬生産者の間には年間100頭を超えて種付けをさせることは種牡馬を酷使しているという認識があったが、サンデーサイレンスの種付け頭数が100頭、200頭を超えるのに伴いほかの種牡馬も200頭を超える種付けを行うことが珍しくなくなった[98]ブリーダーズ・スタリオン・ステーションの秋山達也によると、このような種付け頭数の増加は有力種牡馬に交配の申し込みが殺到する現象を生み、成績が優れない種牡馬が以前よりも早く見切られるようになった[103]。種牡馬時代の厩務員を務めた佐古田直樹によるとサンデーサイレンスは性欲が強く[104]、最大で年間224頭(2001年)の繁殖牝馬と交配したにもかかわらず種付けを嫌がる様子を見せなかった[105]。佐古田はサンデーサイレンスを「まるで種付けマシーンのよう」と形容している[106]

社台グループは、種付けシーズンになると、社台ファームやほかの牧場を訪れるファンの為に様々な馬の写真やイラストを入れたグッズを販売しているが、その中でも最も人気があるのがサンデーサイレンスのグッズであったといい、グッズのラインナップは帽子、シャツ、ジャケット、リストバンド、ソックスなど様々であるが、デザインは黒地一色にサンデーサイレンスの額から鼻筋にかけて走っている流星の形が白く染め抜いてあるのみのもので統一されていた。レイ・ポーリックは「サンデーサイレンスの白い流星のマークは、日本の競馬ファンにとってはナイキの流線型のマークと同じくらい、お馴染みの形になっているのである」と評している[107]

1998年に始まったセレクトセールでは毎回産駒が高額で落札された[† 20]。晩年には種付け料と産駒の購買価格、獲得賞金、種牡馬シンジケートの額を合計するとサンデーサイレンスが1年間に動かす金額は100億円を超え[99]、年間150頭の繁殖牝馬に5年間種付けを行った場合、産駒の獲得賞金と種付け料を合計して1500億円の経済効果があるといわれた[108]

産駒は日本国外のレースでも活躍を見せ、日本調教馬は日本国外でG1を3勝(ステイゴールドハットトリックハーツクライが各1勝)した。さらにオーストラリア生まれ(交配は秋〈南半球は春で繁殖シーズンにあたる〉に日本で行われた)のサンデージョイ (Sunday Joy) がG1のオーストラリアンオークスを優勝するなど、日本国外生産馬および日本国外調教馬からも複数の重賞優勝馬を輩出した。日本国外で活躍する産駒が出現した影響から、日本国外の有力馬主がセレクトセールでサンデーサイレンス産駒を購買し、さらに繁殖牝馬を日本へ移送して交配させるようになった。2001年に行われた第4回セールでは、ロッタレースの2001を巡ってゴドルフィンクールモアスタッドの代理人が激しい競り合いを演じた(ゴドルフィンが1億9000万円で落札)[109]

蹄葉炎を発症し死亡[編集]

2002年5月5日、サンデーサイレンスは右前脚に跛行を発症し、この年の春の種付けを中止して休養に入った。一度は快方に向かったものの同月10日に跛行が再発。検査の結果、右前脚にフレグモーネを発症していることが判明した[110][111][112]。フレグモーネを引き起こした細菌は、血管が少なく抗生物質の効果が現れにくい深屈腱[† 21]に入り込んでいた。さらに、通常フレグモーネは外傷から菌が侵入して発症するが、サンデーサイレンスの脚に外傷が見当たらず、発症の詳しい経緯が不明であったことから治療に有効な抗生物質が見つけられなかった。これらの理由から治療は困難を極めた[110][111][112]

サンデーサイレンスを繋養する社台スタリオンステーションは、イギリスからフレグモーネの専門医を招いて治療を行った[110]。3回にわたって患部を切開して洗浄する措置が施された結果、右前脚の病状は改善したものの、8月に入りそれまでに右前脚をかばった負担が原因となって左前脚に蹄葉炎を発症。懸命な治療の甲斐なく、8月19日に衰弱性心不全のため死亡した[110][112][113]

サンデーサイレンスは火葬され、社台スタリオンステーションの敷地内に埋葬された。墓の横には吉田善哉の遺品が埋められている[110][99]。産駒は2003年生まれがラストクロップとなった。最後に生まれた産駒はハギノプリンセス(母サベージレディ)[114]である。また、中央競馬で最後の登録馬は、2012年に引退したアクシオンであった。

競走馬としての特徴・評価[編集]

精神面[編集]

サンデーサイレンスは非常に気性が荒く、騎乗した人間の指示に従わず暴れる傾向があった。ウィッティンガムは、厩舎一の腕を持つジャネット・ジョンソンをサンデーサイレンス担当の調教助手に指名したが、ジョンソンは気性の荒さに嫌気が差し、一度騎乗しただけで降板している。騎手のウィリー・シューメーカーも調教のために騎乗したことがあるが、気性の荒さに激怒し、レースでの騎乗を拒否した[115]。ウィッティンガムによると、ヘイローの産駒は総じて気性が荒いという[116]。しかし、種牡馬時代のサンデーサイレンスは、メジロマックイーンがそばにいると大人しくなることが多く、サンデーサイレンスとメジロマックイーンの放牧地は隣同士に設えられていたという逸話がある[117]

前述のように、サンデーサイレンスは1986年11月に悪性のウイルスに感染して激しい下痢を起こし、生死の境をさまよったことがある。この闘病についてハンコックは「普通の馬だったらダメだっただろう」、「よほどの精神力がなければ、とてもじゃないがあんな経験は乗り越えられない」と述べている[118][119]

身体面[編集]

テッド・キーファー[† 6]は「サンデーサイレンスの馬体の欠点は目をつぶってすむような軽いものじゃなかった」「同じような馬格の馬が1000頭いたとしたら、そのうち999頭はチャンピオンやリーディングサイアーになるどころか、競走馬としてまず使い物にならないだろう」とし、ティザムに購入を勧めなかったことを正当化するとともに「個人的には、サンデーサイレンスは一種の突然変異だったと思っている」と述べている[120]

走法[編集]

ブリーダーズカップ・クラシックで騎乗したクリス・マッキャロンはサンデーサイレンスの走りを「ストライドに全感覚を集中させるか、それとも脚元を見下ろすかしない限り、いつ手前を変えたのか全くわからない。そのくらい脚運びが滑らか」と評し、かつて騎乗したジョンヘンリーの感覚を思い出させたと述べている[121]。ウィッティンガム厩舎の調教助手の一人は、どんなに狭いコースでも器用に手前を変えることができ、コーナーを回りながら加速することができる点をサンデーサイレンスの特徴として挙げている[122]

選定[編集]

サンデーサイレンスは1996年にアメリカ競馬殿堂入りを果たした。1999年に競馬専門誌のブラッド・ホース誌が発表した20世紀のアメリカ名馬100選では第31位となった。

競走馬名[編集]

サンデーサイレンスという競走馬名は、メリーランド州に住むストローという名の夫婦が考案した[123][124]。意味は「静寂なる日曜日(のミサ)」[124][125]。夫妻は「自分たちが所有する競走馬がケンタッキーダービーに出走を果たすとしたら、どんな名前がいいだろう」という空想をもとに作成した競走馬名リストをストーンファームに送り、その中からハンコックが「サンデーサイレンス」を採用した[124][126]

種牡馬として[編集]

種牡馬成績・記録[編集]

前述のように、サンデーサイレンスは初年度産駒がデビューした翌年の1995年から2007年にかけて、13年連続でリーディングサイアーとなった。

サンデーサイレンスは、中央競馬における種牡馬に関する記録の多くを更新した。リーディングサイアー[† 22]、連続リーディングサイアー[† 23]、通算勝利数[† 24]、通算重賞勝利数[† 25]、通算GI級競走勝利数[† 26]、年間勝利数[† 27]、年間重賞勝利数[† 28]、年間GI級競走勝利数[† 29]、年間獲得賞金額[† 30]、通算クラシック勝利数[† 31]はいずれも最多記録を保持している。

また、中央競馬・地方競馬をあわせた通算勝利数は3719勝で[102]アジュディケーティングの3766勝[134](2015年10月時点)に次ぐ世界2位である[† 32]

ブルードメアサイアーとしての成績[編集]

サンデーサイレンスをブルードメアサイアーに持つ競走馬は、1997年に初めて誕生した。当初は、サンデーサイレンスの激しい気性が、悪い形で遺伝するのではないかと懸念されていた[135]が、2世代目から重賞優勝馬が、6世代目からGI級競走優勝馬が現れるなど徐々に成績を伸ばし、2007年に初めてリーディングブルードメアサイアーの座を獲得した(中央競馬のみの集計では2006年に初めて獲得)。

競走馬エージェントの柴田英次は、サンデーサイレンスは種牡馬としての特徴である柔らかくしなやかな筋肉と激しい気性から生まれる「狂気をはらむほど激しい闘争心」を、ブルードメアサイアーとしても遺伝させるとしている[136]

サンデーサイレンス系種牡馬の活躍と血の飽和、偏りの問題[編集]

サンデーサイレンス直仔の種牡馬がデビューすると、日本のリーディングサイアー上位は彼らによって占められるようになった。サンデーサイレンス直仔の種牡馬の産駒は中央競馬において、サンデーサイレンス産駒が優勝できなかったNHKマイルカップ、ジャパンカップダート、中山大障害を含む数々のGI級競走を優勝している。さらに日本国外でもシーザリオ(父スペシャルウィーク)がアメリカンオークスインビテーショナルステークスを、デルタブルース(父ダンスインザダーク)がメルボルンカップを勝ち、フジキセキタヤスツヨシバブルガムフェローといったシャトル種牡馬の産駒が南半球ドバイのG1優勝馬を輩出。

日本国外へ輸出された種牡馬を見ると、フランスに輸出されたディヴァインライトの産駒ナタゴラチェヴァリーパークステークスを制してカルティエ賞最優秀2歳牝馬を受賞し、イギリスのクラシックレースである1000ギニーを制したほか、アメリカで種牡馬入りしたハットトリック産駒のダビルシム (Dabirsim)モルニ賞ジャン・リュック・ラガルデール賞を制してカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選出されている。

サンデーサイレンス自身ばかりでなく、その直系の牡馬までもが種牡馬として活躍し数多くの種付けをこなすようになると、サンデーサイレンスの血を引く馬が過剰に生産され、それらの馬が種牡馬や繁殖牝馬となることで近親交配のリスクが高まり、やがては日本の競走馬生産が行き詰まりを見せるようになるのではないかという懸念が生じるようになった(血の飽和、偏りの問題)[138][139]ステイゴールド産駒のオルフェーヴルが優勝した2011年の日本ダービーでは、出走18頭すべてが「サンデーサイレンスの血を引いた馬」という事態も起こっている[140]

これに対し吉田照哉は、サラブレッドの生産においては一つの系統が栄えれば次に別の系統が栄えるということが繰り返されて来たのであり、サンデーサイレンスの場合もほかの系統が自然と栄えるようになる[139][141]、加えてサンデーサイレンス系の馬を日本国外へ輸出するという対策方法もある[142]と反論している。

吉沢譲治は、「サンデーサイレンスは功の山を築く一方で、罪の山も残した」と述べている[143]。吉沢は、経済面・興行面の2点の観点から以下のように供述している。

経済面においては、「サラブレッドの世界でこの手の革命的な種牡馬を持つことは、たいへんな利権を手にすることを意味する。革命の主が死んでも、その血の猛威は孫、ひ孫、さらにその先の代まで続くから、早い話が地下に眠る大油田、金やダイヤモンドの大鉱脈を掘り当てるようなものである」としたうえで、「結果として、封建時代にタイムスリップしたかのような格差社会を作り上げてしまうことになる。利権を持つ者と、それを享受できる経済力のある一握りの者。かれらのみが大レースを勝つ栄光と富を得る一方で、それ以外のものは置き去りにされていく。(中略)幸か不幸か、そんな半世紀に一、二頭の出現率でしかない革命の死者が日本に舞い降りてしまった」「大レースの優勝馬は生産者や馬主に栄誉のみならず、種牡馬として繁殖牝馬として、金の卵を産む貴重な財産をもたらすが、サンデーサイレンス産駒が競馬場でデビューするや、その大レースがいきなり狩りの場と化した。おかげでサンデーサイレンスの種付け料は3000万円を超えるまでに高騰し、産駒の値段も億単位が当たり前となってしまった」と述べ、「サンデーサイレンスの産駒に大金を投じた人物たちが富を得る一方、その分小牧場には金が落ちなくなったことで売れ残りが目立つようになり、中小の牧場が次から次へと消えていき、繁殖牝馬を預ける馬主たちも次から次へと撤退していったことで、生産馬の競走能力と収入の格差は年を追うごとにひどくなっていった」と述べている[143]

興行面においては、「大レースを勝つのは、明けても暮れてもサンデーサイレンス×良血牝馬の配合で生まれたエリート血統ばかりとなり、(サンデーサイレンスが)逝ったいまも『サンデーサイレンスの後継種牡馬』と『母の父サンデーサイレンス』が大レースを支配している」と述べ、それらを取り巻くほとんどの生産者、馬主、調教師、騎手がランキング上位の者ばかりであるため、このごく一握りの者たちが持ち回りで大レースを勝つことが日常化していると述べている[143]。これを明白に示す例として吉沢は2010年の有馬記念を挙げ、このレースに出走した16頭中12頭がサンデーサイレンスを擁して大成功を収めた社台グループの生産馬であった[144]。加えてサンデーサイレンスの血を持っていない出走馬・社台グループ以外の生産馬はいずれも4頭だったため、これを吉沢は「テレビでいうならどの局にチャンネルを切り替えても、登場するのはドラマ、バラエティ、ニュース、天気予報に至るまで同じ人間ばかり、内容も分かり切ったものばかりというマンネリ競馬を作り出した」と例えている[144]

続けて吉沢は「日本の競馬は小が大を制するとか、脇役が主役を食うとか、底辺から這い上がった馬が頂点をめざすとか、どんでん返しの展開とか、意外性とか、そういった波瀾万丈、立身出世のシナリオ展開があって発展してきた。ハイセイコーオグリキャップのように、小さな牧場で生まれた地味な血統の馬が、地方からはい上がって中央のエリートを打ち負かし、ひたむきに頂点を目指す。一般大衆がそこに共感し、声援を送るのがかつてのヒーロー像だった」とし、それがサンデーサイレンスが競馬界全体にもたらした血統の寡占と格差社会によってそのような要素が骨抜きにされてしまったため、これがファンの競馬離れと周辺メディアの停滞を招く一因になったことは否めないと述べている[144]

特徴・評価[編集]

産駒の精神面[編集]


サンデーサイレンスの産駒は気性が激しい馬が多いことで知られた。競走馬エージェントの柴田英次は、産駒は激しい気性から生まれる「狂気をはらむほど激しい闘争心」ゆえに、痛みに対して従順でなく、「肉体の限界を超えるほどのチカラを発揮できた」と分析し、「種牡馬として成功した要因として、激しい気性があったのは間違いない」と述べている[135]。サンデーサイレンス産駒に騎乗し多くの勝利を挙げた武豊[† 34]は、「そうした性格的な部分まで受け継いだ仔のほうが、競走能力もストレートに受け継いでいるような気がします」とし[146]、「騎乗したときに産駒が気性の悪さを見せるとかえって頼もしさを感じた」という[147][† 35]。武によるとレースでは序盤はのらりくらりと走り、後半になってから本気を出すタイプの馬が多かったという[149]

オリビエ・ペリエは、日本で騎乗した産駒には「神経質でピリピリしてるようなタイプが多かった」と指摘した上で、そのことが実戦ではプラスに作用し、反応の鋭さに繋がっていたと推測している[150]岡部幸雄は、サンデーサイレンス産駒の良さは気性の荒さにあるが、気性の荒さを表に出し過ぎるタイプの競走馬は距離適性が短く、「うまく内面に押し込めんでレースに爆発させることができる」タイプの競走馬は距離の融通がきくと述べている[151]

社台ファーム繁殖主任の水越治三郎は、「やんちゃな気性の割に物覚えがよい」と述べている[99]。獣医師の松永和則は、「サンデーサイレンス産駒の気性はただ単に激しいのではなく、強い精神力を伴ったものである」と述べている[152]

産駒の肉体面[編集]


産駒の特徴について水越治三郎は、「外見は見栄えがしないがそれとは正反対に肉体面がしっかりとしている」と述べている[99]エアメサイアを管理した伊藤雄二は「とても体質、骨質が優れている」、「前脚は膝から下、後脚は飛節[† 3]から爪の先までしっかりと力が入っている産駒が多い」、「全身均等に筋肉がついて」いる点を特徴として挙げている[153]

筋肉や繋ぎの柔らかさも特徴の一つである。サイレンススズカアドマイヤベガアドマイヤグルーヴなどのサンデーサイレンス産駒を管理した橋田満によると「筋肉が柔らかいと走行時のストライドが大きくなり、優れた瞬発力を発揮する」という[154]。競走馬仲介業者の富岡眞治は「サンデーサイレンスは飛節の角度がやや深い点が難点であったが筋肉と繋ぎが柔らかい点に特徴があり、産駒についても飛節の難点を筋肉と繋ぎの柔らかさがカバーしていた」と分析している[155]。そして、「産駒は柔らかい筋肉を活かした素早い収縮運動により、日本の固い馬場でのスピード勝負に対応した」と分析している。こうした柔らかさについて岡田繁幸は当初「馬体が柔らかすぎて、まるで力強さが感じられない。決して誉められた馬ではない」という印象を抱いていたが、産駒が活躍したことにより「相馬眼を180度覆された」と述べている[† 36][99]

ステイゴールド、トゥザヴィクトリーディープインパクトなどのサンデーサイレンス産駒を管理した池江泰郎は、サンデーサイレンスの産駒は芝だけで強かったわけではなかったといい、「サンデーサイレンス自身も薄くて、走るための筋肉がついているスマートな体型をしていた。それはどちらかと言えば芝向きの体型とも言える。しかし、アメリカの競馬は芝よりもダートが中心なので、ダートを走っていたこともあるでしょう。僕が手掛けたゴールドアリュールはダートの大きなレースをたくさん勝ったけれど、最初に芝で走らせた後に、ダートを使ってみたらもの凄い走りをした。他の馬もダートで使ってみたら、走った馬もいるんじゃないかな。ただし、日本はアメリカと違ってクラシックも大きなレースも芝が中心だからね。同じくらいなら芝を使うよね」と述べている[156]

池江泰郎の息子である池江泰寿はサンデーサイレンス産駒は飛節の曲がった馬が多く、この特徴が芝のレースでの強さに繋がっていると語っており、「サンデーサイレンス系の種牡馬の産駒にはダンスインザダークマンハッタンカフェの産駒は薄手の馬が多い。対して、フジキセキアグネスタキオンの産駒にはやや詰まった感じの幅のある馬が多いんです。ところが、飛節はいわゆる曲飛といわれるタイプの馬が多い。サンデー系の産駒を後ろから見ると飛節が寄っている馬がほとんどで、サンデーの飛節だなあと思ったりする。その飛節がサンデー系特有のしなやかさや柔軟さに繋がり、それがあの爆発的な末脚に繋がっているんです」と解説している[157]。この話には泰郎も同意しており、「それだからこそ芝コースでの柔軟性に繋がったのでしょう。ダートでは力強い体型の馬の方が走りますが、芝コースではしなやかな体型の方が走る。サンデー産駒には飛節だけでなく、体型的にも芝向きの馬が多かった気がしますね」と述べている[158]。また、泰寿は加えてサンデーサイレンス産駒は代謝能力が高いのではないかと思っていると口にし、「人間でも運動選手というのは代謝能力が高いですよね。代謝が良いということは、脂肪も上手く燃やせるわけですから、サンデーサイレンスに薄手の馬が多いのではないかと。さらに、代謝がいいことで、乳酸が溜まって筋肉が硬くなることで発症するコズミやスクミを発症する馬がサンデーサイレンスの産駒には少なかった記憶があるんですよね。あくまで私見ではありますが」と語っている[159]

サンデーサイレンス産駒は仕上がりが早い(調教の効果が表れやすい)傾向にあり、2歳のうちから能力を十分に発揮した。松永和則によると、産駒は少し運動をさせただけで澄んだ心音が聞こえるようになるなどはっきりとした身体的変化を見せたという[160]。中央競馬では初年度産駒がデビューした1994年から最終世代がデビューした2005年までの間、1996年をのぞく11回2歳リーディングサイアーを獲得した。富岡眞治によると、成功を収めたサンデーサイレンス産駒には細身の馬が多く、通常そのような馬が晩成型であることが多いが、サンデーサイレンス産駒の場合は馬体が未完成な時期にもクラシックを戦い抜く基本性能を備えていた[161]

遺伝に関する特徴[編集]


伊藤雄二はサンデーサイレンスの特徴として、遺伝力の強さを挙げている[153]。武豊も、競走馬としてのサンデーサイレンスには走行中進路が左右にぶれる癖があったことを指摘した上で、産駒にも同様の傾向を示す馬が多かったのは遺伝能力の強さの表れだと述べている[162]。吉沢譲治は自身の長所を伝える遺伝力の強さに加え、配合相手の長所を引き出す和合性を挙げている[163][164]。吉田照哉は「ほとんどどんな牝馬でも結果を残す」、「長距離血統でも短距離血統でも、とにかく繁殖牝馬を選ばない万能の種牡馬」と評価している[165]

池江泰郎は「僕が競馬界に入った頃にはヒンドスタンという大種牡馬がいた。その後にもテスコボーイパーソロン、ノーザンテーストなど偉大な種牡馬がいましたが、その血を引く馬は現在かなり少なくなっています。これは競馬の世界では当然のように繰り返されてきたことですが、サンデーサイレンスはその血を現在広め続けている。こんな種牡馬は記憶にありません」[159]、「ステイゴールドやディープインパクトも柔らかく出ていましたし、しなやかで柔軟性があった。サンデーサイレンスの血を引き継いでいたということですし、遺伝力が強いんでしょう。それからステイもディープもコンパクトだったけれど、実際よりも大きく見せる馬だった。バネもあったし体を使って走っていたよね。やっぱり種牡馬というのは、次の世代に血を残していかなくてはいけないわけですから、これだけ特徴を強く出すというのは、それだけ遺伝力が高いということでしょう」と語っている[158]

池江泰寿は、「これはディープインパクト産駒にも言えることなのですが、産駒の平均レベルが高いというのもサンデーサイレンスの特徴でもありますよね。それまでの種牡馬でも毎年1、2頭のクラシック級を誕生させるという種牡馬はいましたが、サンデーサイレンスやディープインパクトはクラシック級の馬を複数、それも片手で収まらないくらい毎年送り出している。こんな種牡馬は世界を見回してもいませんよ」と述べている[159]

田端到によるとサンデーサイレンスの産駒はブルードメアサイアーに応じて一定の傾向を持ち、たとえばダンジグをブルードメアサイアーとする産駒は短い距離を得意とし、ヌレイエフをブルードメアサイアーとする産駒はダートを得意とする傾向がある[166]。ブルードメアサイアーとの相性という点では、ノーザンテーストとの組み合わせ[† 37]で4頭が、ニジンスキー[† 38]ヌレイエフトニービンとの組み合わせでそれぞれ3頭がGI級競走を勝っている。

吉沢譲治は、サンデーサイレンスは初期よりも中期・後期にスケールの大きな産駒を出したことについて[168]、初期の代表産駒において例外的にスタミナ・成長力に長けていたダンスインザダークスペシャルウィーク両馬の母の父が、スタミナ・成長力を産駒によく伝えて欧州の長距離界を席巻していたニジンスキー系の馬で共通していたため[† 39]、これをヒントに配合相手を欧州系の繁殖牝馬にスライドしていったことがサンデーサイレンスの尻上がりの種牡馬成績を呼び込んだとしており、該当する産駒としてマンハッタンカフェ(母の血Law Society)、ネオユニヴァース(母の父Kris)、ディープインパクト(母の父Alzao)を挙げている[169]

「作られた」コース、馬場への適性[編集]


吉田照哉の見解では、サンデーサイレンスが種牡馬として成功した要因にあげられるのは、イギリスの競馬場のように「もともとの自然を活かした」ものではなく、日本のような「作られた」競馬場に対する適性が高かったことである。吉田は、サンデーサイレンスのこのような適性は、産駒が日本国外において、日本と同様「作られた馬場」をもつ香港ドバイの競馬場で優れた成績を残したことからもわかると述べている[164]

レース体系への対応[編集]


サンデーサイレンスが優れた種牡馬成績を残すことができたのは、中央競馬のレース体系が変化したことによる時代の勢いに乗ったからだという見方もある。作家の藤野広一郎は「サンデーサイレンスの種牡馬としての素質には端倪すべからざるものがある」としつつ、中央競馬のレース編成に占める長距離戦の比重が軽くなったことで日本のサラブレッド生産が「圧倒的なマイラー志向に傾き、早熟で、手がかからなくて、仕上がりの早い、しかもスピード適性をもった産駒を送り出せる早熟型の種牡馬しか成功できなくなってきた中で時代傾向にのっかった」「早熟タイプの完成度の高い器用な軽量級種牡馬で、別にのけぞって驚嘆するほどの種牡馬でもなく、トップクラスの国際級種牡馬と表現するのをためらわせる」としている[170]安福良直は、サンデーサイレンスの初年度産駒がデビューした1994年と2005年を比較すると、中央競馬においてサンデーサイレンス産駒がもっとも得意とする芝1800メートル-2000メートルのレースの施行数が2歳馬の新馬戦、未勝利戦において2.5倍に増えていることを挙げ、「時代が、サンデーサイレンス産駒が勝つほうへ勝つほうへと変化」したと分析している[171]

客観的評価[編集]


アーニングインデックスコンパラブルインデックスで割った数値(産駒の収得賞金に加え繁殖牝馬の質の高さを考慮するため、種牡馬の本当の実力が分かるとされる)は、2005年末の試算で同時期に活躍した有力種牡馬であるノーザンテーストブライアンズタイムトニービンなどを上回っている(2.02。ノーザンテーストは1.83、ブライアンズタイムは1.58、トニービンは1.32)[172]

産駒[編集]

日本調教馬[編集]

GI級競走優勝馬[編集]


勝ち鞍はGI級競走のみ表記。なお、前述のように日本の中央競馬においては産出した12世代すべてでGI級競走優勝馬を輩出、24あるGI級競走のうち20で勝利を収めた[† 19]

1992年産
フジキセキ朝日杯3歳ステークス
ジェニュイン皐月賞マイルチャンピオンシップ
ダンスパートナー優駿牝馬エリザベス女王杯
タヤスツヨシ東京優駿
マーベラスサンデー宝塚記念
1993年産
バブルガムフェロー天皇賞〈秋〉、朝日杯3歳ステークス)
イシノサンデー(皐月賞、ダービーグランプリ統一グレード制前))
ダンスインザダーク菊花賞
1994年産
サイレンススズカ(宝塚記念)
ステイゴールド香港ヴァーズ
1995年産
スペシャルウィーク(東京優駿、天皇賞〈春〉・〈秋〉ジャパンカップ
1996年産
スティンガー阪神3歳牝馬ステークス
アドマイヤベガ(東京優駿)
トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯)
1997年産
チアズグレイス桜花賞
エアシャカール(皐月賞、菊花賞)
アグネスフライト(東京優駿)
1998年産
メジロベイリー(朝日杯3歳ステークス)
アグネスタキオン(皐月賞)
マンハッタンカフェ(菊花賞、有馬記念、天皇賞〈春〉)
ビリーヴスプリンターズステークス高松宮記念
1999年産
ゴールドアリュールジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、東京大賞典フェブラリーステークス
デュランダル(スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ (2003,2004))
アドマイヤマックス(高松宮記念)
2000年産
ピースオブワールド(阪神ジュベナイルフィリーズ)
スティルインラブ牝馬三冠(桜花賞、優駿牝馬、秋華賞))
ネオユニヴァース(皐月賞、東京優駿)
アドマイヤグルーヴ(エリザベス女王杯 (2003,2004))
ゼンノロブロイ(天皇賞〈秋〉、ジャパンカップ、有馬記念)
ヘヴンリーロマンス(天皇賞〈秋〉)
オレハマッテルゼ(高松宮記念)
2001年産
ダンスインザムード(桜花賞、ヴィクトリアマイル
ダイワメジャー(皐月賞、天皇賞〈秋〉、マイルチャンピオンシップ (2006,2007)、安田記念
ダイワエルシエーロ(優駿牝馬)
スズカマンボ(天皇賞〈春〉)
ハットトリック(マイルチャンピオンシップ、香港マイル
ハーツクライ(有馬記念、ドバイシーマクラシック
2002年産
ショウナンパントル(阪神ジュベナイルフィリーズ)
ディープインパクト牡馬クラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)、天皇賞〈春〉、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念)
エアメサイア(秋華賞)
スズカフェニックス(高松宮記念)
2003年産
フサイチパンドラ(エリザベス女王杯)
マツリダゴッホ(有馬記念)

重賞優勝馬[編集]


1992年産
ブライトサンディー(函館記念サファイヤステークス
サイレントハピネスサンスポ賞4歳牝馬特別ローズステークス
プライムステージ札幌3歳ステークスフェアリーステークス
マジックキス(北九州記念
キングオブダイヤ(中山記念
サンデーウェル(セントライト記念
サマーサスピション青葉賞
1993年産
サイレントハンター大阪杯など重賞4勝)
ローゼンカバリー日経賞など重賞4勝)
ロイヤルタッチきさらぎ賞ラジオたんぱ杯3歳ステークス
アグネスカミカゼ目黒記念
チアズサイレンス(名古屋優駿
1994年産
ビッグサンデーマイラーズカップなど重賞3勝)
オレンジピールサンスポ賞4歳牝馬特別など重賞3勝)
エアウイングス(阪神牝馬特別
1995年産
ジョービッグバン(函館記念など重賞3勝)
メイショウオウドウ大阪杯鳴尾記念
エガオヲミセテマイラーズカップ、阪神牝馬特別)
サンプレイス(新潟記念
タヤスメドウ(新潟大賞典
サンデーセイラ(七夕賞
タヤスアゲイン(青葉賞)
マルカコマチ(京都牝馬特別
ジュビレーション(JTB賞)
1996年産
ロサードオールカマーなど重賞5勝)
フサイチエアデール報知杯4歳牝馬特別など重賞4勝)
エイシンルーデンス(中山牝馬ステークスチューリップ賞
ペインテドブラックステイヤーズステークス
ブラックタキシード(セントライト記念)
テイエムサンデーシルクロードステークス
マルカキャンディ(府中牝馬ステークス
サイキョウサンデー(中日スポーツ賞4歳ステークス
キングオブサンデー(北海道3歳優駿
クリアーベース(九州王冠
1997年産
ウインマーベラス京都ハイジャンプなど障害重賞4勝)
ユキノサンロイヤル(日経賞)
フサイチランハート(アメリカジョッキークラブカップ
トウカイオーザ(アルゼンチン共和国杯
フサイチゼノン弥生賞
アドマイヤボス(セントライト記念)
マニックサンデー(サンスポ賞4歳牝馬特別)
ヤマニンリスペクト(函館記念)
メイショウドメニカ(福島記念
フューチャサンデー(クイーンカップ
バンドオンザラン(東海ゴールドカップ)
1998年産
ダイヤモンドビコー(阪神牝馬ステークスなど重賞4勝)
サンライズペガサス毎日王冠など重賞3勝)
ウインラディウス京王杯スプリングカップなど重賞3勝)
ミレニアムバイオ(マイラーズカップなど重賞3勝)
アグネスゴールド(スプリングステークス、きさらぎ賞)
チアズブライトリー(京阪杯、七夕賞)
ローズバド(フィリーズレビュー、マーメイドステークス
ハッピーパス(京都牝馬ステークス)
ボーンキング京成杯
トラストファイヤー(ラジオNIKKEI賞
タガノテイオー東京スポーツ杯3歳ステークス
ダイワルージュ新潟3歳ステークス
タイムトゥチェンジ(マーチカップ)
ダンツプライズ(中島記念
インターレジェンダ(九州記念
1999年産
リミットレスビッド東京盃2回など重賞8勝)
チアズシュタルク(共同通信杯毎日杯
ダイワレイダース(七夕賞)
サクセスビューティ(フィリーズレビュー)
ヤマニンセラフィム(京成杯)
シャイニンルビー(クイーンカップ)
ビーポジティブ(クイーン賞
オースミシュネル(ステイヤーズカップ2回)
2000年産
リンカーン阪神大賞典など重賞3勝)
サクラプレジデント札幌記念など重賞3勝)
ヴィータローザ(セントライト記念など重賞3勝)
サイレントディール武蔵野ステークスなど重賞3勝)
クワイエットデイ平安ステークスマーチステークス
チアフルスマイル(キーンランドカップ
スズカドリーム(京成杯)
チアズメッセージ(京都牝馬ステークス)
チューニー(クイーンカップ)
2001年産
スウィフトカレント小倉記念、2006年サマー2000シリーズチャンピオン)
ハイアーゲーム(鳴尾記念、青葉賞)
グレイトジャーニーダービー卿チャレンジトロフィー、シンザン記念)
レクレドール(ローズステークスクイーンステークス
エアシェイディ(アメリカジョッキークラブカップ)
キョウワロアリング(北九州記念)
アズマサンダース(京都牝馬ステークス)
ムーヴオブサンデー(フィリーズレビュー
ブラックタイド(スプリングステークス)
アドマイヤビッグ(東京スポーツ杯2歳ステークス)
フィーユドゥレーヴ(函館2歳ステークス
2002年産
ローゼンクロイツ金鯱賞など重賞3勝)
ディアデラノビア(フローラステークスなど重賞3勝)
デアリングハート(府中牝馬ステークス2回など重賞3勝)
キングストレイル京成杯オータムハンデキャップ、セントライト記念)
ペールギュント(デイリー杯2歳ステークス、シンザン記念)
シックスセンス京都記念
トウカイワイルド(日経新春杯
マチカネオーラ(中京記念
ロフティーエイム(福島牝馬ステークス
ダンツキッチョウ(青葉賞)
アドマイヤジャパン(京成杯)
マチカネオーラ(中京記念
モエレフェニックス(九州王冠
2003年産
アクシオン(鳴尾記念、中山金杯
アドマイヤキッス(ローズステークスなど重賞4勝)
アドマイヤメイン(青葉賞、毎日杯)
トーセンシャナオー(セントライト記念)
マルカシェンク(デイリー杯2歳ステークス、関屋記念
モエレソーブラッズ(兵庫ジュニアグランプリ
タイムトゥチェンジ(マーチカップ)

日本国外調教馬[編集]

勝ち鞍はG1を含む主要競走。

1996年産
サンデーピクニック[† 40]クレオパトル賞(G3)
1999年産
サイレントオナー (Silent Honor) :チェリーヒントンステークス(G2)
サンデージョイ (Sunday Joy) :オーストラリアンオークスWHストックスステークス(G3)
2000年産
ダヌタ (Danuta) :UAEオークスムーンシェルマイル
2001年産
サンドロップ (Sundrop) :カーディナルハンデキャップ(G3)、プリンセスエリザベスステークス(G3)
2002年産
レイマン (Layman) :カブール賞(G3)、ソヴリンステークス(G3)
サイレントネーム (Silent Name) :アーケーディアハンデキャップ(G2)、コモンウェルスブリーダーズカップステークス(G2)

高額落札馬[編集]

セレクトセールにおいて、2億円を超える落札額の産駒は以下の6頭いたが、獲得賞金が落札額を上回ったのはアドマイヤグルーヴのみであった。一方で、セレクトセール出身のサンデーサイレンス産駒で10億円以上の賞金を獲得したのはゼンノロブロイ、ディープインパクトの2頭であり、ゼンノロブロイは2000年のセレクトセールで「ローミンレイチェルの2000」として大迫忍に9000万円、ディープインパクトは2002年のセレクトセールで「ウインドインハーヘアの2002」として金子真人に7000万円で落札されている[173]

母の父としての産駒[編集]

日本調教馬[編集]

GI級競走優勝馬[編集]


勝ち鞍はGI級競走のみ表記。

2002年
ラインクラフト桜花賞NHKマイルカップ(父エンドスウィープ・母マストビーラヴド)
ヴァーミリアン川崎記念JBCクラシックジャパンカップダート東京大賞典フェブラリーステークス帝王賞(父エルコンドルパサー・母スカーレットレディ
シャドウゲイトシンガポール航空インターナショナルカップ(父ホワイトマズル・母ファビラスターン)
2003年
フサイチリシャール朝日杯フューチュリティステークス(父クロフネ・母フサイチエアデール
ソングオブウインド菊花賞(父エルコンドルパサー・母メモリアルサマー)
アドマイヤムーンドバイデューティフリー宝塚記念ジャパンカップ(父エンドスウィープ・母マイケイティーズ)
2004年
アサクサキングス:菊花賞(父ホワイトマズル・母クルーピアスター)
スクリーンヒーロー:ジャパンカップ(父グラスワンダー・母ランニングヒロイン)
ジャガーメイル天皇賞(春)(父ジャングルポケット、母ハヤベニコマチ)
2005年
トールポピー阪神ジュベナイルフィリーズ優駿牝馬(父ジャングルポケット・母アドマイヤサンデー
レジネッタ:桜花賞(父フレンチデピュティ・母アスペンリーフ)
サクセスブロッケンジャパンダートダービー、フェブラリーステークス(父シンボリクリスエス・母サクセスビューティ
2006年
セイウンワンダー:朝日杯フューチュリティステークス(父グラスワンダー・母セイウンクノイチ)
2007年
ローズキングダム:朝日杯フューチュリティステークス、ジャパンカップ(父キングカメハメハ・母ローズバド
ビッグウィーク:菊花賞(父バゴ・母タニノジャドール)
2008年
グランプリボス:朝日杯フューチュリティステークス、NHKマイルカップ(父サクラバクシンオー・母ロージーミスト)
アヴェンチュラ秋華賞(父ジャングルポケット・母アドマイヤサンデー)
ホエールキャプチャヴィクトリアマイル(父クロフネ・母グローバルピース)
ベルシャザール:ジャパンカップダート(父キングカメハメハ・母マルカキャンディ)
2009年
アルフレード:朝日杯フューチュリティステークス(父シンボリクリスエス・母プリンセスカメリア)
2010年
ロゴタイプ:朝日杯フューチュリティステークス、皐月賞安田記念[174](父ローエングリン・母ステレオタイプ)
アウォーディーJBCクラシック(父ジャングルポケット・母ヘヴンリーロマンス
2011年
レッドファルクススプリンターズステークス2回 [175](父スウェプトオーヴァーボード・母ベルモット)
2012年
ドゥラメンテ:皐月賞、東京優駿[176](父キングカメハメハ・母アドマイヤグルーヴ
2014年
ペルシアンナイトマイルチャンピオンシップ(父ハービンジャー・母オリエントチャーム)
2015年
アーモンドアイ:桜花賞、優駿牝馬、秋華賞、ジャパンカップ、ドバイターフ天皇賞(秋)(父ロードカナロア・母フサイチパンドラ
メールドグラースコーフィールドカップ(父ルーラーシップ・母グレイシアブルー)

重賞優勝馬[編集]


1998年産
ジョウテンペガサス:百万石賞、スプリンターズカップ(父ジェイドロバリー
1999年産
マイソールサウンド阪神大賞典など重賞5勝(父タマモクロス
プリサイスマシーン中日新聞杯2回など重賞4勝(父マヤノトップガン
プレシャスカフェCBC賞シルクロードステークス(父ハートレイク
シャドウスケイプ:根岸ステークスクラスターカップ(父フォーティナイナー
2000年産
サカラートブリーダーズゴールドカップなど重賞4勝(父アフリート
アイポッパー阪神大賞典ステイヤーズステークス(父サッカーボーイ
スズノマーチ:エプソムカップ(父ティンバーカントリー
2001年産
ポップロック目黒記念2回(父エリシオ
ウイングレット:中山牝馬ステークス(父タイキシャトル
2002年産
ワイルドワンダー:根岸ステークスなど重賞3勝(父ブライアンズタイム
ヤマニンメルベイユ:中山牝馬ステークス、クイーンステークス(父メジロマックイーン
ライラプス:クイーンカップ(父フレンチデピュティ)
アンブロワーズ:函館2歳ステークス(父フレンチデピュティ)
2003年産
サクラメガワンダー金鯱賞など重賞4勝(父グラスワンダー
サイレントプライドダービー卿チャレンジトロフィー富士ステークス(父フレンチデピュティ)
シンゲン:オールカマーなど重賞3勝(父ホワイトマズル)
パフィオペディラム:TCKディスタフ栄冠賞(父フサイチコンコルド
2004年産
フサイチホウオー共同通信杯など重賞3勝(父ジャングルポケット)
トーセンキャプテンアーリントンカップ、函館記念(父ジャングルポケット)
ホクトスルタン:目黒記念(父メジロマックイーン)
マイネルシーガル:富士ステークス(父ゼンノエルシド
アブソリュート東京新聞杯、富士ステークス(父タニノギムレット
ボランタス:浦和記念(父ティンバーカントリー)
クランエンブレム:阪神ジャンプステークス(父ウォーエンブレム
2005年産
ヤマニンキングリー:札幌記念など重賞3勝(父アグネスデジタル
スマイルジャックスプリングステークスなど重賞3勝(父タニノギムレット)
ドリームシグナルシンザン記念(父アグネスデジタル
エアパスカル:チューリップ賞(父ウォーエンブレム)
ユキチャン関東オークスなど重賞3勝(父クロフネ)
フサイチアソート東京スポーツ杯2歳ステークス(父トワイニング
ナンヨーリバー兵庫チャンピオンシップ(父スキャン
ブラボーデイジー:エンプレス杯福島牝馬ステークス(父クロフネ)
ロールオブザダイス:平安ステークス(父トワイニング)
マイネルスターリー:函館記念(父スターオブコジーン
キングスエンブレムシリウスステークス(父ウォーエンブレム)
シルポートマイラーズカップ京都金杯(父ホワイトマズル)
2006年産
グランプリエンゼル函館スプリントステークス(父アグネスデジタル)
ゴールデンチケット:兵庫チャンピオンシップ(父キングカメハメハ)
クリーバレン:新潟ジャンプステークス(父シンボリクリスエス
2007年産
アプリコットフィズ:クイーンカップ、クイーンステークス(父ジャングルポケット)
エーシンホワイティ:ファルコンステークス、新潟ジャンプステークス(父サクラバクシンオー)
トゥザグローリー日経賞など重賞5勝(父キングカメハメハ)
ミッキードリーム朝日チャレンジカップ(父キングカメハメハ)
フェデラリスト:中山記念、中山金杯(父エンパイアメーカー
サイレントメロディ:マーチステークス(父シンボリクリスエス)
ソリタリーキング東海ステークス日本テレビ盃(父キングカメハメハ)
ダイワファルコン:福島記念2回(父ジャングルポケット)
アドマイヤロイヤル:プロキオンステークス(父キングカメハメハ)
セイコーライコウ:アイビスサマーダッシュ(父クロフネ)
2008年産
リアライズノユメ:エーデルワイス賞(父アフリート
マイネイサベル府中牝馬ステークス新潟2歳ステークス、中山牝馬ステークス(父テレグノシス
ダンスファンタジアフェアリーステークス(父ファルブラヴ
クレスコグランド京都新聞杯(父タニノギムレット)
マイネルラクリマ:京都金杯、七夕賞オールカマー(父チーフベアハート
オールザットジャズ:福島牝馬ステークス2回(父タニノギムレット)
ムスカテール:目黒記念(父マヤノトップガン)
ミトラ:福島記念(父シンボリクリスエス)
エポワス:キーンランドカップ(父ファルヴラヴ)
2009年産
エアソミュール鳴尾記念、毎日王冠(父ジャングルポケット)
2010年産
コディーノ札幌2歳ステークス、東京スポーツ杯2歳ステークス(父キングカメハメハ)
インパルスヒーロー:ファルコンステークス(父クロフネ)
アウトジェネラル:羽田盃(父アドマイヤドン
ディアデラマドレマーメイドステークス府中牝馬ステークス愛知杯(父キングカメハメハ、母ディアデラノビア
ソロル:マーチステークス、小倉サマージャンプ(父シンボリクリスエス)
トロワボヌール:クイーン賞(父バゴ
2011年産
ホウライアキコ小倉2歳ステークスデイリー杯2歳ステークス(父ヨハネスブルグ
ショウナンアチーヴニュージーランドトロフィー(父ショウナンカンプ
カラダレジェンド京王杯2歳ステークス(父フレンチデピュティ
トゥザワールド弥生賞(父キングカメハメハ)
アドマイヤデウス日経新春杯、日経賞(父アドマイヤドン)
ロワジャルダン:みやこステークス(父キングカメハメハ)
ネロ京阪杯2回(父ヨハネスブルグ)
サクラアンプルール:札幌記念(父キングカメハメハ)
スズカデヴィアス新潟大賞典(父キングカメハメハ)
エアアンセム:函館記念(父シンボリクリスエス)
2012年産
セカンドテーブル:京王杯2歳ステークス(父トワイニング)
ベルーフ:京成杯(父ハービンジャー
ヤングマンパワー:アーリントンカップ、関屋記念、富士ステークス(父スニッツェル
クリプトグラム:目黒記念(父キングカメハメハ)
マキシマムドパリ:愛知杯、マーメイドステークス(父キングカメハメハ)
トーセンビクトリー:中山牝馬ステークス(父キングカメハメハ)
2013年産
エアスピネルデイリー杯2歳ステークス、京都金杯、富士ステークス(父キングカメハメハ、母エアメサイア
ドレッドノータス:ラジオNIKKEI杯京都2歳ステークス、京都大賞典(父ハービンジャー、母ディアデラノビア)
チェッキーノフローラステークス(父キングカメハメハ)
キンショーユキヒメ:福島牝馬ステークス(父メイショウサムソン
アスターサムソン:京都ハイジャンプ(父メイショウサムソン)
フロンテアクイーン:中山牝馬ステークス(父メイショウサムソン)
2014年産
ヴゼットジョリー:新潟2歳ステークス(父ローエングリン
ダンビュライトアメリカジョッキークラブカップ京都記念(父ルーラーシップ
エアウィンザーチャレンジカップ(父キングカメハメハ、母エアメサイア)
ムイトオブリガードアルゼンチン共和国杯(父ルーラーシップ)
2015年産
ジャンダルム:デイリー杯2歳ステークス(父キトゥンズジョイ、母ビリーヴ
パクスアメリカーナ:京都金杯(父クロフネ)
ダイアトニックスワンステークス(父ロードカナロア
2016年産
フィリアプーラ:フェアリーステークス(父ハービンジャー)

日本国外調教馬[編集]

2005年産
Tale of Ekati:ウッドメモリアルステークスシガーマイルハンデキャップ(父Tale of the Cat・母Silence Beauty)
Young Pretender:ロシェット賞(父Oasis Dream・母Silent Heir)
2006年産
More Joyous:クイーンオブザターフステークス連覇、クイーンエリザベスステークスドンカスターマイルフューチュリティステークストゥーラックハンデキャップジョージメインステークスフライトステークス(父More Than Ready・母Sunday Joy)
2011年産
Karakontieジャン・リュック・ラガルデール賞プール・デッセ・デ・プーランブリーダーズカップ・マイル(父Bernstein、母サンイズアップ) ※生産国日本
2014年産
Aviliusランヴェットステークスタンクレッドステークスオプティックホワイトステークス(父Pivotal・母Alessandria)

血統[編集]

血統表[編集]


血統的背景[編集]

母のウィッシングウェルは12勝(うち重賞2勝)を挙げたが、その母系を遡るとマウンテンフラワー、エーデルワイス、ダウィジャー、マルセリーナ[† 41]はいずれも競走馬として優勝したことがない[4]。ヘイローの母のコスマーは半妹にノーザンダンサーの母・ナタルマ(父ネイティヴダンサー)がいる血統だったものの[177]、前述のように母系が地味であったことが種牡馬としてのサンデーサイレンスの評価を下げる一因となった[81]

サンデーサイレンスは非常に気性が荒かったが、父のヘイローも突然人を襲うなど気性の荒い馬として知られている[9]。母のウィッシングウェルも競走馬時代の管理調教師が「気が違っているんじゃないか」と思うほど気性が悪い馬であった[178]

サンデーサイレンスの全妹サンデーズシス[179]、ペニーアップ[180]、マイライフスタイル[181]の3頭が日本に輸入され繁殖牝馬となっている。ペニーアップの孫トーセンクラウンは中山記念で優勝している[182]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

書籍

江面弘也『名馬を読む』三賢社、2017年。
岡部幸雄『馬、優先主義 4巻』ミデアム出版社、1997年。
河村清明『三度怒った競馬の神様 サラブレッドに魅入られた男たちの物語』二見書房、2003年。
木村幸治『吉田善哉倖せなる巨人』徳間書店、2001年。
柴田哲孝『サンデーサイレンスの奇跡』KKベストセラーズ、2008年。
島田明宏『ありがとう、ディープインパクト―最強馬伝説完結』廣済堂出版、2007年。
関口隆哉『牧場発・種牡馬たちの真実 The hourse race according to sires』オークラ出版、2004年。
武豊『ターフの女王−最強牝馬コレクション』朝日新聞社、2003年。
武豊、オリビエ・ペリエ『武豊×オリビエ・ペリエ勝つには理由がある』小学館、2002年。
この記事では「07 サンデーサイレンス」(61-68頁)を参照。
文庫版あり(小学館、2006年、)
平出貴昭『覚えておきたい世界の牝系100』主婦の友社、2019年。
吉川良『血と知と地 馬・吉田善哉・社台』ミデアム出版社、1999年。
吉沢譲治『血のジレンマ サンデーサイレンスの憂鬱』NHK出版、2011年。
吉田照哉『馬づくり馬そだての戦略』ミデアム出版社、1997年。
レイ・ポーリック『運命に噛みついた馬 サンデーサイレンス物語』産業経済新聞社、2002年。
『プーサン―知性派の競馬 (Vol.5)』大村書店、1996年10月。
この記事では、「サンデーサイレンスの約束の土地」(藤野広一郎著、4-119頁)を参照。
『衝撃のサンデーサイレンス』サラブレ編集部(編)、アスキー、1998年。
『春競馬満開宣言!』宝島社〈別冊宝島435〉、1999年。
『SS系 Empire of Sunday Silence』成田青央(監修)、東邦出版、2003年。
『サンデーサイレンス大全』宝島社〈別冊宝島1290〉、2006年。
『サンデーサイレンスの時代』サラブレ編集部(編)、エンターブレイン・ムック、2016年。
雑誌・ムック特集記事

合田直弘「サンデーサイレンス物語」『優駿3月号増刊 TURFHERO 2002』、中央競馬ピーアール・センター、2003年、 161-169頁。
後藤正俊「サンデーサイレンス逝く」『サラブレ』2002年10月号、エンターブレイン、2002年、 4-5頁。
田端到他「金満血統王国プラス1」『サラブレ』2002年11月号、エンターブレイン、2002年、 78-83頁。
富岡眞治「富岡眞治の血と馬体の相馬学」『サラブレ』2002年11月号、エンターブレイン、2002年、 124-127頁。
村本浩平「サンデーサイレンスの実像」『全部見せます中央競馬2002』、エンターブレイン、2003年1月、 136-137頁。
「さらば最強種牡馬サンデーサイレンス」『優駿』2002年10月号、中央競馬ピーアール・センター、2002年、 8-41頁。
優駿』2004年10月号、中央競馬ピーアール・センター
優駿』2011年7月号、中央競馬ピーアール・センター
「母父サンデーサイレンスはなぜ走る?」『サラブレ』2008年4月号、エンターブレイン、2008年、 9-27頁。

外部リンク[編集]

競走馬成績と情報 netkeibaJBISサーチRacing Post
サンデーサイレンス(USA) - 競走馬のふるさと案内所

出典:Wikipedia
2020/03/10 04:00
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