
ゴジラの花嫁?

1955年の6月に
海上日出男による初の
総天然色映画を予定していた検討用脚本で、『
ゴジラの逆襲』の続編。花嫁ロボット(脚本上は「人工人間」と記載)やアンギラスが登場する。なお、『ゴジラのお嫁さん』(歌:子門真人)というタイトルのレコードが東宝レコードから発売された。

続 キングコング対ゴジラ(1962年頃)

『
キングコング対ゴジラ』の直接の続編として、
関沢新一によるプロットが残されている。

怪獣島(1963年)

東宝テレビ部の宇佐美仁と
スタジオ・ゼロ[24]により企画されたテレビシリーズ番組案。『ゴジラ』をはじめとした全8本の東宝怪獣映画の特撮場面を流用したオリジナルストーリーで1クール分のシノプシスが作成されたが、映像の使用権が当時アメリカに渡っていたため頓挫した
[25]。

フランケンシュタイン対ゴジラ(1964年)

フランケンシュタイン側のエピソードはほぼそのままで、対戦相手をゴジラから新怪獣の
バラゴンに差し替える形で『
フランケンシュタイン対地底怪獣』が制作されている。

バットマン対ゴジラ

怪獣大襲撃(1966年)

ゴジラ対ヘドラ 2

『
ゴジラ対ヘドラ』の続編として、同作を監督した
坂野義光によるプロットが存在する
[28]。

キングギドラの大逆襲!(1971年)

関沢新一による『
地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』の検討稿
[29]。

ゴジラ・レッドムーン・エラブス・ハーフン 怪獣番外地(1973年)

『
怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』に続く
円谷プロダクション製作・東宝配給作品の第2弾として1973年に企画していた映画。
金城哲夫と
満田かずほによりプロットが製作され、沖縄を舞台とした風刺的な作品となっている。

大怪獣沖縄に集合! 残波岬の大決斗(1974年)

登場怪獣、人物の一部、沖縄を舞台にした作品というプロットは『
ゴジラ対メカゴジラ』に流用された。

ゴジラの復活(1977年、1980年)

『
メカゴジラの逆襲』の後に企画されたシリーズ再開案。同一タイトルの脚本が何度か書かれており、いずれも後の『
ゴジラ』(1984年版)の原形となっている。

1977年頃に書かれたものは、テロリストに占拠された静岡の原発をゴジラが襲うという内容。『ゴジラ』(1984年版)のショッキラスがこの段階で登場しているが、この時点ではダニの怪獣であった。監督を
福田純、脚本を中西隆三で製作が予定されていたが、プロデューサーの
田中友幸ともども急遽製作が決定した『
惑星大戦争』へスライドした。

1980年頃に書かれたものは、ゴジラと猿神獣・水神獣・竜神獣の3形態に変身する中国の伝説の怪獣バガンが戦うという内容。執筆は村尾昭。『ゴジラ』(1984年版)で描かれた「ゴジラが核物質をエネルギーとする」という設定がこの段階で登場している。バガンは後に『モスラ対バガン』の企画へ流用された。

三度目に書かれた
永原秀一による検討用脚本が改題し、『ゴジラ』(1984年版)として製作された。

日米合作 ゴジラ

ゴジラ伝説 アスカの要塞

1984年の『ゴジラ』公開後に行われたストーリー公募で準佳作に選ばれた『ゴジラ対巨大ロボット軍団』を元にした脚本が関沢新一によって書かれている。ゴジラとコンピュータ「アスカ」が操る巨大な移動要塞の戦いが展開される。

シナリオ化は『
ゴジラvsビオランテ』の制作と併行する形で行われたが、アイデアはその後も残り、『vsビオランテ』の続編としても映像化の案があったものと推測される。

モスラ対バガン(1990年)

モスラが主役の映画であるがストーリーは『ゴジラvsビオランテ』の続編で、少しであるがゴジラもラストで復活し登場するはずだった。企画は『
ゴジラvsモスラ』の原型になっている。
ビオランテのキャラクターの弱さが東宝社内で指摘され、「スター怪獣ゴジラでも対決物興行が難しい」という結果が出た上にさらに新怪獣とモスラとの組み合わせではキャラクターが弱かろうとの判断が下されたためにお蔵入りになった。その代わりにアンケート人気第1位を獲得した
キングギドラが登場する『
ゴジラvsキングギドラ』(1991年)が制作された。

ミクロスーパーバトル ゴジラvsギガモス → ゴジラvsギガモス(1991年)
[37]

『ゴジラvsキングギドラ』の続編として
川北紘一を中心に企画された作品。ゴジラと新怪獣ギガモスとの戦いと並行して、原子炉化したゴジラを止めるためミクロ化した主人公たちによるゴジラの体内での行動が描かれる。アメリカを舞台とし、全米での公開も見込まれていた。

ギガモスのほかに米軍の兵器として
メカニコングの登場も予定されていた。当初はキングコングの登場を検討していたが、『vsキングギドラ』に登場したメカキングギドラが好評であったことから同じメカ怪獣であるメカニコングに変更された。

プロットがまとめられた1か月後に東宝のプロデューサーサイドがキングギドラの次に人気のあったモスラをメインとすることを決定したため、登場怪獣をモスラとギガモスとした『ゴジラvsギガモス』へと内容を変更された。この段階でギガモスは名前だけ残してモスラと同じ卵から生まれた「悪のモスラ」という設定に変わり、最後はモスラと融合してゴジラを倒すという展開であった。『vsモスラ』のポスター画では、卵から誕生する2匹のモスラ幼虫が描かれており、『
モスラ対ゴジラ』のイメージと言われることもあるが、実際には『VSギガモス』のプロットを元にしている。最終的に
大森一樹による『
モスラVSバガン』をベースとした内容に決定したためこのプロットは実現には至らなかったが、「悪のモスラ」の設定はバガンとあわせてバトラの原型となっている。

『ミクロスーパーバトル』での海外上陸展開は、場所は異なるが後に『
ゴジラvsデストロイア』において海外上陸には慎重な意見であった
富山省吾を押し切って川北が実現させている。

ゴジラの逆襲 → ゴジラ対メカニコング → マイクロユニバース イン ゴジラ(1991年)
[37]

モスラ登場案へと変更された『ミクロスーパーバトル ゴジラvsギガモス』に対し、同プロットから「メカニコング」と「ゴジラの体内での戦い」という要素を引き継いだ作品。メカニコングの登場は、権利関係が東宝と
RKOとの間で曖昧であったためこれを明確にしようという意図もあったが、RKO側から製作した場合トラブルが生じる可能性があるとの回答が出されたため、この案は中止となった。

「怪獣の体内での戦い」は後に『
モスラ2 海底の大決戦』にてモスラとダガーラの戦いの中で実現させている。またメカニコングに思い入れの強かった川北は『
幻星神ジャスティライザー』でこれをモデルとしたメカ巨獣ブルガリオを登場させている。

ゴジラ 3D "GODZILLA 3D TO THE MAX"

2005年に
坂野義光の率いる先端映像研究所が、製作を発表。後にこのプロジェクトは『
GODZILLA ゴジラ』製作に移行した。