ゴール朝
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1.概要
1.3.最盛期
アラーウッディーンの死後、王位を奪手中に収めた甥のギヤースッディーン・ムハンマドがゴールを支配し、弟のシハーブッディーン(ムイッズッディーン・ムハンマド、ムハンマド・ゴーリーとも)がガズナを支配した12世紀後半から13世紀初頭に、ゴール朝は最盛期を迎えた。

兄弟は連携して領域を拡大し、ギヤースッディーンは弟と協力して1186年ラホールにいたガズナ朝を滅ぼした。北では、1190年ホラズムからホラーサーンに支配を広げつつあったホラズム・シャー朝を破ってその君主を捕虜とし、1198年にはカラキタイ(西遼)の侵入を撃退した。こうして1200年には、ホラーサーンの大半を支配することに成功し、ニーシャープールにホラーサーン総督を置いた。

一方、弟のシハーブッディーンはラホールからインド奥深くへと侵攻し、1191年にはタラーインの戦いラージプート軍を破り、ベンガルまで軍を進めて事実上の北インド支配を達成した。

ゴール朝の国力が絶頂となったギヤースッディーンの治世には、王朝の本拠地ゴールやヘラートで盛んに建設事業が行われた。中でもゴール地方のハリー川支流のほとりに立つジャームのミナレットは現存し、世界遺産に登録されている。

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(1.2.アラーウッディーンの勃興)
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(1.4.ゴールの支流とデリー・スルターン朝の成立)
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出典:Wikipedia
2019/02/05 13:30
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