コンスタンティノープル条約 (1700年)
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概要
コンスタンティノープル条約(Treaty of Constantinople)は、1700年7月3日ユリウス暦)/7月14日グレゴリオ暦[1]ロシアオスマン帝国との間で調印された条約。この条約によって、1686年に始まった露土戦争が終結した。イスタンブール条約とも呼ばれる。
ツァーリピョートル1世は、戦争で占領したアゾフ地域の領有を確定化させて、ロシア軍を大北方戦争でのスウェーデンとの戦いに振り向けた。この条約は1711年にスウェーデン王カール12世がオスマン領内に逃げ込んだ結果、オスマン帝国が大北方戦争に参戦してプルート川の戦いでロシアに勝利したために締結されたプルト条約(内容はオスマン帝国へのアゾフの返還等)に取って代わられることになった。
目次
1.背景
2.合意された条項
3.大北方戦争の影響
4.脚注
5.参考文献
出典:Wikipedia
2019/01/15 10:01
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