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ケルン
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3.歴史
3.1.古代
紀元前39年、ローマとの合意に基づき、親ローマのゲルマニア人部族ウビイイ族がライン川の西岸に入植した。その入植地オッピドゥム・ウビオールムラテン語: Oppidum Ubiorum, ウビイイ人の町)またはアラ・ウビオールムラテン語: Ara Ubiorum)は、ローマ軍宿営地となり、ゲルマニア州におけるローマの拠点となった。

紀元50年、皇帝クラウディウスの妻アグリッピナは、自分の出生地オッピドゥム・ウビオールムをローマ植民市(コロニア)に格上げするよう、要望した。こうしてコロニア・クラウディア・アラ・アグリッピネンシス(ラテン語: Colonia Claudia Ara Agrippinensium)またはコロニア・アグリッピネンシスラテン語: Colonia Agrippinensis)がおかれた。後にこの地名はアグリッピネンシスの部分は省略されるようになりコロニアと呼ばれ現名の語源となった。

アウグスタ・トレヴェロールム(ラテン語: Augusta Treverorum、現トリーア)に次ぎ、ローマ帝国のゲルマニア支配の拠点として重要な地位を占めたケルンには、多くのローマ遺跡が見られる。80年には水道橋が建設された。1世紀末には、アグリッピネンシスは属州下ゲルマニアの首都となった。この当時の人口は4万5千人ほどであった。

355年から、サリー・フランク族フランク族に属するサリ族)が10年の間ケルンを包囲した。455年リプアリウス・フランク族英語版は最終的にケルンを落とし、これを首都とした。481年クロヴィス1世がフランク族を統一し、メロヴィング朝フランク王国が成立、首都はトゥルナカム(ラテン語: Tornacum, 現トゥルネー)。

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出典:Wikipedia
2020/02/15 06:00
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