ギリシア神話
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13.ギリシア神話の影響
13.3.ルネサンスとギリシア神話
西欧では、古代ギリシア語による文芸はほとんど忘れられていたが、14世紀初頭の代表的な中世詩人であるダンテ・アリギエリは、『神曲』地獄篇のなかでリンボーという領域を造り、そこに古代の詩人を配置した。5人の詩人中4人はラテン語詩人で、残りの一人がホメーロスであった。しかし、ダンテはホメーロスの作品を知らなかったし、西欧にこの大詩人が知られるのは、やや後[101][102]になってからであった。

しかし西欧では、古代のローマ詩人オウィディウスの名とその作品はよく知られていた。イタリア・ルネサンスの絵画でギリシア神話の主題を明確に表現しているものとして、サンドロ・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と『春』が存在する。両絵画共に制作年は明確ではないが、1482年頃であろうと想定されている[135]。高階秀爾はこの二つの絵画を解釈して、『春』はオウィディウスの『祭暦』の描写に合致する一方、『ヴィーナスの誕生』と『春』が対を成す作品ならば、これは「天のアプロディーテー」と「大衆のアプロディーテー」の描き分けの可能性があると指摘している[104][105][138]

ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』は、イタリア・ルネサンスにおけるギリシア神話の具象的表現の代表的な作品とも言える。この絵の背後にあると想定されるマルシリオ・フィチーノなど(プラトン・アカデミー)のネオプラトニズムの哲学や、魔術的ルネサンスの思想は、秘教的なギリシア文化と西欧文化のあいだで通底する美的神話的原理であるとも言える。次に、西欧世界において、ルネサンス期以前のギリシアのイメージはどのようなものだったのかを記す。

ホメーロスと古代ギリシア[編集]


西欧における古代ギリシア、わけてもホメーロスの像は、いわゆる「トロイアの物語」のイメージで捉えられていた。これは紀元4世紀ないし5世紀のラテン語の詩『トロイア戦争日誌』と『トロイア滅亡の歴史物語』を素材として、12世紀にブノワ・ド・サント=モールがフランス語で書いたロマンス風の『トロイア物語』から広がって行ったものである。この作品は更にラテン語で翻案され、全ヨーロッパ中に広まったとされる[106]

叙事詩人ホメーロスが意図した古代ギリシアと、西欧中世にあって「トロイア物語」を通じて流布したギリシアの像では、どのような違いがあったのか。ここで言えるのは、両者が共に「歴史性」を負っていること、しかし前者は「詩的」であろうとする世界であり、後者はあくまで「史的」であろうとする世界である[107]。ホメーロス時代のギリシアの世界には「神々の顕現」が含まれていたが、古代末期から近世にかけての西欧において思い描かれていた「ギリシア世界」では、「神々の不在」が顕著であり、脱神話化が行われている。

だがイタリアの人文主義者たちは、ホメーロス『イーリアス』原典を、15世紀半ばにラテン語訳した。この翻訳を通じ、汎西欧的にホメーロス及び古代ギリシアの把握像に変化が生じてきた。17世紀には、ジョージ・チャップマンが『イーリアス』(1611年)と『オデュッセイア』(1614年)を英訳し、マダム・ダシエ(1654-1720)が『イーリアス』と『オデュッセイア』を、フランス語訳した[108]。このように進展した事で、古典ギリシアの再発見とも呼べる事態が到来した。

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出典:Wikipedia
2019/07/26 19:30
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