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カントリー・ミュージック
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2.歴史
2.3.1930 - 1940年代、第2世代
世界恐慌の影響でレコードの売上は減少した。ラジオが娯楽としての人気が上がり、南部から北はシカゴ、西はカリフォルニアまでカントリー・ミュージックを使った「バーン・ダンス」の番組が放送された。

最も重要なのは、1925年にテネシー州ナッシュビルのWSMが『グランド・オール・オープリー』の放送を開始し、現在も続いていることである。『オープリー』の初期のスターにはアンクル・デイヴ・メイコン、ロイ・エイカフ、アフリカ系アメリカ人ハーモニカ奏者デフォード・ベイリーなどがいる。1934年当時、WSMの5万ワットのシグナルにより、全米で聴くことができることもあった[30]

多くのミュージシャンが様々な形態で演奏および収録を行なった。例えばムーン・ムリカンはウエスタン・スウィングで演奏していたが、ロカビリーでの収録も行なっていた。1947年から1949年、カントリー・クルーナーのエディ・アーノルドは8曲がトップ10にランクインした[31]

シンギング・カウボーイおよびウエスタン・スウィング[編集]


1930年代から1940年代、1920年代から収録されてきたカウボーイ・ソングまたはウエスタン・スウィングがハリウッドで製作される映画で人気が上がった。当時人気のあったシンギング・カウボーイにはジーン・オートリー、サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ、ロイ・ロジャーズなどがいる[32]。カントリー・ミュージックとウエスタン・ミュージックは同じラジオ局で放送されることがあり、「カントリー・アンド・ウエスタン」という言葉が生まれた。

カウボーイだけでなく、カウガールが参加する家族バンドも存在した。パッツィ・モンタナは歴史的な曲『I Want To Be a Cowboy's Sweetheart 』で女性アーティストの活動の場を広げた。これは女性にもソロとしてのキャリアを伸ばす機会が与えられる革命的な出来事となった。

グレートプレーンズ出身のボブ・ウィルズは「ホット・ストリング・バンド」のリーダーとしてとても人気があり、西部劇の映画にも出演した。ダンス・ホール音楽としてスタートした彼のカントリーとジャズをミックスしたスタイルはウエスタン・スウィングとして知られるようになった。スペイド・クーリーやテックス・ウイリアムズもとても人気があり、映画にも出演していた。ウエスタン・スウィングの人気の高さはビッグバンド・スウィング・ミュージックの人気に匹敵するものであった。

楽器の変遷[編集]


初期のカントリー・ミュージシャンにはドラムは「騒々しい」「新鮮でない」として敬遠されていたが、1935年、ウエスタン・スウィング・ビッグバンドであるテキサス・プレイボーイズのリーダーのボブ・ウィルズはドラムを取り入れた。1940年代中期、『オープリー』はプレイボーイズがドラムを使用することを受け入れなかった。1955年までにロカビリーではドラムを使用することが普通になっていたが、『オープリー』ほど保守的でない『ルイジアナ・ヘイライド』は1956年にはまれにドラムを使うことがあった。1960年代初頭までにはカントリー・バンドにドラムがないことの方が珍しくなった[33]

1938年、ボブ・ウィルズはカントリーで初めてエレクトリック・ギターをバンドに追加した[10]。10年後の1948年、アーサー・ギター・ブギ・スミスはMGMレコードから『Guitar Boogie 』でカントリー・チャートのトップ10だけでなくポップ・チャートでもクロスオーバー・ヒットし、エレクトリック・ギターの将来性を提示した。数十年、ナッシュビルのスタジオ・ミュージシャンギブソングレッチのアーチトップの温かみのある音を好んでいたが、1950年代初頭より、「ホットな」フェンダーの音がカントリーの特徴的なギターの音として浸透した[33][34]

ヒルビリー・ブギ[編集]


1939年、ジョニー・バーフィールドがカーネギー・ホールで『Boogie Woogie 』を演奏すると、カントリー・ミュージシャンはブギの収録を始めた。これらは当初「ヒルビリー・ブギ」「オーキー・ブギ」(のちに「カントリー・ブギ」と改名)と呼ばれ、1945年後期から流行り始めた。この当時の代表曲はデルモア・ブラザーズの『Freight Train Boogie 』などで、ロカビリーの前の、カントリー・ミュージックとブルースの展開の1つとされている。1948年、アーサー・ギター・ブギ・スミスがMGMレコードからの『Guitar Boogie 』や『Banjo Boogie 』でカントリー・チャートのトップ10にランクインし、ポップ・チャートでもクロスオーバー・ヒットした[35]。他のカントリー・ブギのアーティストにはメリル・ムーアやテネシー・アーニー・フォードなどがいる。1950年代までヒルビリー・ブギの人気は続き、21世紀にもカントリーの多くのサブ・ジャンルの1つとされている。

ブルーグラス、フォーク、ゴスペル[編集]


第二次世界大戦終結前、『オープリー』においてロイ・エイカフにより紹介されたレスター・フラットとアール・スクラグスにビル・モンローが参加し、「マウンテニア」・ストリング・バンドの音楽はブルーグラスと融合した。ゴスペルもカントリー・ミュージックの一部として人気があった。大戦後最大のカントリー・スターであったレッド・フォリーは『Peace in the Valley 』でゴスペルで初の100万枚の売り上げを達成し、ブギ、ブルース、ロカビリーも歌った。

戦後、カントリー・ミュージックは商取引の場では「フォーク」、音楽産業業界では「ヒルビリー」と呼ばれた[36]。1944年、『ビルボード』誌は「ヒルビリー」を「フォーク・ソング・アンド・ブルース」と記し、1949年には「カントリー」または「カントリー・アンド・ウエスタン」と記すようになった[37][38]

ホンキートンク[編集]


テキサス州やオクラホマ州の貧困白人の間で、ギター、ベース、ドブロまたはスティール・ギター、ドラムを使用したベーシックなアンサンブルや様々なタイプの粗野な音楽が人気となった。これらは特にテキサス州で南部のブルースと共に、ウエスタン・スウィング、メキシコや国境近くのランチェラをルーツとしたホンキートンクとして知られるようになった。ボブ・ウィルズと彼のバンドであるテキサス・プレイボーイズはこの音楽について「これを少し、あれを少し、黒人音楽を少し、白人音楽を少し…考えすぎない程度に、ウイスキーを注文できる程度にうるさい」と解説した[39]。テキサス州東部出身のアル・デクスターは『Honky Tonk Blues 』を、また7年後に『Pistol Packin' Mama 』をヒットさせた[40]アーネスト・タブキティ・ウェルズ(初のメジャーな女性カントリー・ソロ歌手)、テッド・ダファン、フロイド・ティルマン、マドックス・ブラザーズ・アンド・ローズ、レフティ・フリッツェル、ハンク・ウィリアムズなど、これらの「ホンキートンク」の曲は酒場で流行り、のちに「トラディショナル」・カントリーと呼ばれるようになった。ジョージ・ジョーンズなどのホンキートンク・スターが新たに誕生する一方で、特にウィリアムズなどがチャック・ベリーアイク・ターナーと同様にエルヴィス・プレスリージェリー・リー・ルイスなどのロックンロールの多くのパイオニアに多大な影響を与えた。1950年代、ウエブ・ピアスは13曲のシングルが計113週第1位を獲得し、常にチャートのトップに君臨するカントリー・アーティストとなった。約10年間で48曲がチャート入りし、うち31曲がトップ10に、さらにそのうち26曲が第4位以内に入った。

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(2.4.1950 - 1960年代、第3世代)
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出典:Wikipedia
2019/09/20 10:01
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