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カロリング朝
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▼目次
概要
カロリング朝(カロリングちょう、: Carolingiens, : Karolinger)は、メロヴィング朝に次いでフランク王国2番目の王朝宮宰ピピン3世メロヴィング朝を倒して開いた。名称はピピン3世の父、カール・マルテルにちなむ。なお、「カロリング」は姓ではなく「カールの」という意味である。当時のフランク人には姓はなかった。
フランク族カロリング家は代々フランク王国のメロヴィング朝に仕え、宮宰宰相)を輩出してきた家系であった。はじめピピン1世(大ピピン)はフランク王国の分国(アウストラシア)の宮宰であったが、ピピン2世(中ピピン)においてはフランク王国全体の宮宰を務め、ピピン3世(小ピピン)に至っては遂にメロヴィング朝を廃しカロリング朝を開いた。
751年から987年までフランク王国やそれが分裂した後の東フランク王国西フランク王国中フランク王国の王を輩出した。987年、西フランク王国の王家断絶をもって消滅した。
ピピン3世の子カール大帝の時代にはその版図はイベリア半島ブリテン島を除く今日の西ヨーロッパのほぼ全体を占めるに至った。ローマ教皇はカール大帝に帝冠を授け、西ヨーロッパに東ローマ帝国から独立した、新しいカトリックの帝国を築いた。カール大帝の帝国は現実的には、後継者ルートヴィヒ1世の死後3つに分割され、今日のイタリアフランスドイツのもととなったが、理念上は中世を通じて西ヨーロッパ世界全体を覆っているものと観念されていた。
本記事ではカロリング家についても包括的に言及することとする。
目次
1.歴史
├1.1.メロヴィング王権の衰退
├1.2.ピピン2世、全フランク王国宮宰
├1.3.カール・マルテル
├1.4.ピピン3世、カロリング朝の成立
├1.5.カール大帝の時代、キリスト教帝国の成立
├1.6.分割
├1.7.3分割
├1.8.4王国
└1.9.分裂後のカロリング朝国家
2.カロリング・ルネサンス
3.カロリング家の歴代人物
├3.1.メロヴィング朝時代
├3.2.カロリング朝時代
└3.3.フランク王国分裂後
4.家系図
5.脚注
6.参考文献
7.関連項目
出典:Wikipedia
2019/11/09 22:00
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