サービス終了のお知らせ
カール・パーキンス
▼人気記事ランキング
1.来歴
1.7.移籍後
1958年サン・レコードを去ったパーキンスは、コロムビア・レコードと契約を結んだ。『ジャイヴ・アフター・ファイヴ』や『ロッキン・レコード・ホップ』、『リーヴァイ・ジャケット』、『Pop, Let Me Have the Car 』、『Pink Pedal Pushers 』、『Any Way the Wind Blows 』、『Hambone 』『Pointed Toe Shoes 』、『Sister Twister 』、『L-O-V-E-V-I-L-L-E 』を録音した[30]が、サン・レコードの時の成功はしていない。「ピンク・ペダル・プッシャーズ」、「ポインテッド・トゥー・シューズ」がかろうじてチャート入りしたくらいである。

1959年、ジョニー・キャッシュにカントリー『The Ballad of Boot Hill 』を作曲し、キャッシュはコロムビアからコンパクト盤を発表した。

1962年から1963.年、ラスベガスにあるGolden Nugget Casino でしばしば演奏し、中西部9州とドイツでコンサート・ツアーを行なった。

1964年5月、チャック・ベリーと共にイギリスでツアーをしていた[55]。パーキンスはイギリスにいる間にアメリカで自分のことを忘れられ、イギリスでは無名で観客が入らず恥をかくだけではないかと考え、当初このツアーを引き受けることに乗り気ではなかった。一方ベリーは1950年代からイングランドでアメリカより人気があり、どの公演も満員になると確信していた。アニマルズが2人のバックバンドを務めた。ツアー最終日、ザ・ビートルズに招待を受けた。リンゴ・スターが「ブルー・スエード・シューズ」のB面に収録された『ハニー・ドント』を歌っても良いか聞いた所、パーキンスは快諾した[56]。そしてビートルズは『マッチボックス』、『ハニー・ドント』、『みんないい娘』の収録を始めた。『みんないい娘』は元々は1936年にレックス・グリフィンが作曲、演奏、収録したものであったが、1938年にロイ・ニュウマンも同じ題名で収録し、パーキンスがモダンに作曲しなおしたものであった。1963年、『グラッド・オール・オーバー』を2パターン収録した[57]。パーキンスはその場に居合わせたものの、演奏には参加していない。秋にはドイツで別のコンサート・ツアーを行なった。

1964年6月、ザ・ナッシュヴィル・ティーンズと共にブランスウィック・レコードでシングル『Big Bad Blues 』(B面『Lonely Heart 』)を発表した[58]

ジョニー・キャッシュとツアーに出ていた頃、自分で更生しようとビールだけ(ただし量は多い)にしていたが、オクラホマ州タルサアーリータイムズをボトルで4日間飲み続けた。鏡に自分が4〜5人見え、全てがぼやけて見える状態でカリフォルニア州サンディエゴの公演に出演した。さらにアーリータイムズを飲み、ツアー・バスで意識を失った。朝までに幻覚が起こり、「大きな蜘蛛、恐竜、巨大な彼らが私を踏もうとした」。バスは海岸に停まった。彼は自分で隠したウイスキーをまた飲みたい衝動に駆られた。彼はボトルを持ってきてひざまずき、「神様、私はこのボトルを投げ捨てようと思います。私はあなたを信じているということを証明します。太平洋にボトルを流しました。私は正しいことをしたと確信しています」と語った。パーキンスと薬物問題のあったキャッシュは互いにその自制をサポートしあった[59]

1968年、キャッシュはパーキンスがスタンダードナンバーの『Can the Circle Be Unbroken (By and By) 』を基に作曲した『Daddy Sang Bass 』を発表し、カントリー・チャートで6週間第1位となった。グレン・キャンベル、ザ・スタトラー・ブラザーズ、カール・ストーリーなどがカヴァーした。この曲はCMAアワード楽曲賞にノミネートされた。キャッシュのヒット曲『A Boy Named Sue 』ではパーキンスがリード・ギターを務め、カントリー・チャートで5週間第1位、ポピュラー・チャートで第2位を獲得した。パーキンスは約10年間キャッシュの公演に同行し、『The Johnny Cash Show 』にも出演した。パーキンスはキャッシュとデレク・アンド・ザ・ドミノスと共に『マッチボックス』を演奏した。またキャッシュはホセ・フェリシアーノとマール・トラヴィスとのリハーサル・ジャムにもパーキンスを参加させた。

1969年4月16日、『Kraft Music Hall 』でキャッシュが司会を務め、パーキンスが『Restless 』を歌った[60][61]。またこの時ザ・スタトラー・ブラザーズの『Flowers on the Wall 』も演奏された。

1969年2月、パーキンスはボブ・ディランと共に『Champaign, Illinois 』を作曲した。ディランは2月12日から21日までテネシー州ナッシュビルでアルバム『ナッシュヴィル・スカイライン』をレコーディングし、6月7日に『The Johnny Cash Show 』に出演した時にパーキンスに会った[62]。ディランは作詞をしていたが行き詰っていた。パーキンスがリズムを弾くと、ディランは最後まで書くことができ、「あなたの曲です。持って行って曲をつけてほしい」と語った[63]。1969年、この曲はパーキンスのアルバム『On Top 』に収録された[64][65]

1969年、パーキンスはコロムビアのマリー・クルグマンとニューヨークのハドソン・ヴァレイで活動するロカビリー・グループのニュー・リズム・アンド・ブルース・カルテット(NRBQ )と集まった。『ボッピン・ザ・ブルース』、『Turn Around 』などのように、NRBQがパーキンスのバックを務め、いくつかの曲はパーキンス、NRBQそれぞれがレコーディングした[66]。1974年2月16日、人気カントリー番組『Hee Haw 』にキャッシュと共に出演した。

また、1970年には、ジョニー・キャッシュの弟、トミー・キャッシュに書いた『ライズ・アンド・シャイン』がカントリー・ゴスペル・チャートのトップ10内に入り、『ビルボード』誌のカントリー・チャートで第9位、カナダのカントリー・チャートで第8位にランクインした。パーキンスが作曲した1970年の映画『お前と俺』(Little Fauss and Big Halsy )のサウンドトラックからアリーン・ハーデンの『True Love Is Greater Than Friendship 』が第40位以内に入り、『ビルボード』誌のカントリー・チャートでは第22位、同年、アル・マルティーノ版の同曲はアダルト・コンテンポラリー・チャートで第33位にランクインした。

長年サム・フィリップスとロイヤルティーで法的に争っていたが、1970年代のパーキンスの曲はパーキンスが所有することになった[67]

[4]前ページ
(1.6.復帰)
[6]次ページ
(1.8.後年)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/12/10 20:33
ソ人気記事ランキング
2020/03/30 更新
 1位まわり将棋
 2位今村昌平
 3位3月29日
 4位成宮いろは
 5位ジャーマンウイングス9525便墜落事故
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant