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オウィディウス
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1.生涯
1.1.生まれ、育ち、結婚
オウィディウス晩年の作『悲しみの歌』第4巻第10歌によると、オウィディウスはローマ東方、アペニン山脈山中の谷にある集落、スルモー(現スルモーナ)の、ある有力な騎士階級(エクィテス)の家に生まれた[6]。生年月日は紀元前43年3月20日。この年の前後はローマ政治にとって重要な出来事がいくつも起きた年であった[注釈 2]。オウィディウスは子どもの頃から詩歌に親しみ、将来は詩を書くことを夢見ていたという[8]:218大セネカによると、オウィディウスは、弁論術に秀でた兄と共にローマに行き、アレッリウス・フスクス英語版とマルクス・ポルキウス・ラトロー英語版に師事して修辞学を学んだという[9]

オウィディウスが弁論術と修辞学を学びにローマへ行ったのは14,15歳の頃であった[6]。兄は12ヶ月年上で誕生日が同じであった[10]。父の意向としてはオウィディウスに修辞学を学んで法律の実務家の道に進んでほしかったのであるが、大セネカによると、修辞学に情動と論争という正反対の二極があるとすれば、オウィディウスは情動に傾く男であったという。兄が二十歳で亡くなると法律とは縁を切り、アテネ小アジアシチリアへの旅を始めた[11]。そして、三人委員会[注釈 3][12]百人裁判所英語版[13]十人委員会[14]といったこまごまとした公職に就き、詩作を追求することは諦めた。紀元前29年から25年ごろのことである。詩人になることに父が明らかに反対したゆえの決断である[15]

『悲しみの歌』によると始めて詩を朗誦したのは紀元前25年ごろのある日のこと、オウィディウス18歳であった[16]。オウィディウスは若いころからその詩作の人気があった。オウィディウスは、文化の庇護者として知られるメッサッラ・コルウィヌスを中心としたサークルの一員であった。メッサッラ・コルウィヌスのサークルには、オウィディウスが非常に高く評価していたウェルギリウスとティブッルスが属していたものの、かろうじて一度ほど見たことがある程度で言葉を交わしたことはないという[17]。オウィディウスはむしろ、芸術・文化のパトロンを意味する「メセナ」という言葉の由来で有名なガイウス・マエケナスのサークルに属したアエミリウス・マケル英語版プロペルティウスホラティウス、ポンティクス、バッススといった詩人たちと親しかった[18][17]

オウィディウスは30歳になるまでの間に3回結婚し、2回の離婚を経験している。娘が一人おり、その娘から孫も生まれた[19]。最後の妻は何らかの形でファビウス氏族の有力者とのつながりがあり、オウィディウスのトミスにおける追放生活を支えた[20]

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出典:Wikipedia
2020/01/31 21:00
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