サービス終了のお知らせ
オーレル・ハーシュハイザー
▼人気記事ランキング
概要
オーレル・レナード・ハーシュハイザー4世Orel Leonard Hershiser IV, 1958年9月16日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身。ニックネームは「Bulldog」。

日本メディアでは右記のように表記されることもあるが、読みは「ハーシハイザー」が適切である[1]

経歴[編集]

ニューヨーク州バッファローの上流階級の家庭に生まれる。ハーシュハイザー家では長男が必ずオーレルの名を受け継ぐ事になっており、彼は4世である。

1979年MLBドラフトロサンゼルス・ドジャースから17巡目に指名を受け入団。1983年9月1日モントリオール・エクスポズ戦でメジャーデビュー。1984年は序盤リリーフとしての起用だったが、7月4日ピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャー初完封を達成すると7月は月間4完封を記録、ピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど先発に定着。11勝8敗・防御率2.66・リーグ最多タイの4完封の成績で、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では3位に入った。1985年は後半戦で負けなしの11連勝・防御率1.34と絶好調で、19勝3敗・リーグ3位の防御率2.03を記録し、サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。1986年は14勝14敗・防御率3.85と成績を落とす。1987年は前半戦で10勝を挙げて自身初のオールスターゲームに選出される。最終的に16勝16敗・防御率3.06、リーグ最多の264.2イニングの成績だった。

1988年開幕投手を務めた左腕エースのフェルナンド・バレンズエラが故障で5勝に終わるのに対し開幕から6連勝を記録し、6・7月にも6連勝。前半戦で13勝を記録し、2年連続でオールスターゲームに選出される。8月30日のエクスポズ戦で5回に2失点を喫するが、6回以降の4イニングを無失点に抑えた後、5試合連続で完封勝利。シーズン最後の登板となったサンディエゴ・パドレス戦でも10回を0点に抑え、ドジャースの大先輩ドン・ドライスデール1968年に打ち立てた58回2/3イニング連続無失点のメジャー記録を更新する59イニング連続無失点を記録した。23勝8敗・防御率2.26、いずれもリーグ最多の267.0イニング・15完投・8完封の成績でダニー・ジャクソンと並んで最多勝のタイトルを獲得し、チームの地区優勝に大きく貢献した。ポストシーズンに入っても勢いは止まらず、ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第7戦で5安打完封勝利を挙げてリーグ優勝をもたらし、シリーズMVPを獲得。下馬評では不利とされていたオークランド・アスレティックスとのワールドシリーズでは第2戦で3安打完封勝利を挙げた上に、打ってもシリーズ史上64年ぶりの「投手の1試合3安打」を記録。第5戦でも2失点完投勝利を挙げ、4勝1敗でアスレティックスを下して7年ぶりのワールドチャンピオンとなり、ワールドシリーズMVPを受賞。サイ・ヤング賞、ゴールドグラブ賞も獲得した。直後に開催された日米野球でも来日したが、第1戦で日本ハム田村藤夫に、第3戦で南海佐々木誠に本塁打を打たれた。

1989年は初登板のシンシナティ・レッズ戦で初回二死後に失点し、連続無失点記録が途切れた。15勝・防御率2.31、リーグトップの256.2イニングながら、後半戦で7連敗を喫するなど援護に恵まれず、リーグワーストタイの15敗と「元の姿」に戻ってしまった。1990年は故障のため僅か4試合の登板に終わる。1991年は5月下旬に復帰し7勝。1992年はリーグワーストタイの15敗を喫する。1993年5月21日コロラド・ロッキーズ戦で4年ぶりの完封勝利を挙げるが、12勝14敗。打率.356を記録してシルバースラッガー賞を受賞した。1994年1994年から1995年のMLBストライキの影響で6勝に終わり、オフにフリーエージェントとなった。

1995年4月8日クリーブランド・インディアンスと契約。後半戦で11勝を記録するなど16勝を挙げて復活する。チームは2位に30ゲーム差を付けて独走で地区優勝。シアトル・マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2勝・防御率1.29を記録してMVPに選出され、両リーグでリーグチャンピオンシップシリーズMVPを獲得した初めての選手となった。アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは第1戦と第5戦に先発していずれもグレッグ・マダックスと投げ合い1勝1敗だったが、チームは2勝4敗で敗退。1996年は15勝を挙げて2年連続の地区優勝に貢献するが、ディビジョンシリーズボルチモア・オリオールズに敗退。1997年は14勝を挙げてチームは地区3連覇を果たす。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、勝利こそ付かなかったが7回無失点と好投、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。史上初めてワイルドカードから勝ち上がったフロリダ・マーリンズとのワールドシリーズでは第1戦と第5戦に先発したが、計13失点と振るわず2敗を喫し、3勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、12月9日サンフランシスコ・ジャイアンツと契約。

1998年は11勝を挙げるが、チームはワイルドカード決定戦でシカゴ・カブスに敗れポストシーズン進出を逃した。オフにフリーエージェントとなり、1999年2月20日にインディアンスと契約。3月25日に解雇されるが、同日ニューヨーク・メッツと契約[2]。13勝を挙げてチームのワイルドカード獲得に貢献する。ポストシーズンではリリーフでの登板のみだった。11月17日に古巣ドジャースと契約。2000年は年齢もあって衰えを隠せず、1勝5敗・防御率13.14に終わり、6月27日に解雇され、現役引退。

引退後は2002年途中から2005年までテキサス・レンジャーズの投手コーチを務めた。現在はESPNBaseball Tonight』で解説者を務めている。

弟のゴードン・ハーシュハイザーも投手で、メジャーに昇格することはできなかったが、1987年から4シーズン、兄と同じドジャースのマイナーに所属していた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

サイ・ヤング賞 1回:1988年
最多勝 1回:1988年
リーグチャンピオンシップシリーズMVP 2回:1988年, 1995年
ワールドシリーズMVP 1回:1988年
ゴールドグラブ賞 1回:1988年
シルバースラッガー賞 1回:1993年
MLBオールスターゲーム選出 3回:1987年 - 1989年
ベーブ・ルース賞 1回:1988年
59イニング連続無失点:1988年(メジャー記録)

脚注[編集]

外部リンク[編集]

選手の通算成績と情報 Baseball-ReferenceFangraphsThe Baseball CubeBaseball-Reference (Register)
出典:Wikipedia
2020/03/09 09:01
ソ人気記事ランキング
2020/03/30 更新
 1位まわり将棋
 2位今村昌平
 3位3月29日
 4位成宮いろは
 5位ジャーマンウイングス9525便墜落事故
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant