オーランド・ヘルナンデス
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1.経歴
1.2.ヤンキース時代
1998年のシーズンは開幕直前の契約となったため、調整のためにマイナーリーグで9試合に登板後の6月3日に昇格してMLBデビュー。期待にたがわぬ成績を挙げ、チームのアメリカンリーグ東地区優勝に貢献した。新人王投票ではベン・グリーブに大差をつけられた4位であったが、25ポイントを獲得した[5]ポストシーズンでは2試合に登板し2勝、ワールドシリーズ制覇に貢献した。

1999年は防御率こそ4点台ではあったがチーム最多の17勝[6]、ポストシーズンではリーグチャンピオンシップシリーズ3試合とワールドシリーズ1試合に登板して計3勝を挙げ、リーグチャンピオンシップシリーズMVPを受賞した。チームは地区連覇、続いてワールドシリーズ連覇を果たした。

2000年もチームはワールドシリーズの3連覇をしたものの、個人成績はシーズンとポストシーズン共にいまひとつであった。

2001年は左足親指の故障に悩まされ手術をするなど結果を残せなかった[4]

2002年故障者リスト(DL)入りし、24試合の登板に留まった。

2003年1月15日にはアントニオ・オスーナとマイナー1選手との交換で、シカゴ・ホワイトソックストレードされた。同日に、今度はバートロ・コロンとマイナー1選手との交換で、ロッキー・ビドル、ジェフ・リーファープラス金銭と共にモントリオール・エクスポズへ移籍、1日で2回トレードされてしまう。しかしこのシーズンは右肩の関節鏡視下手術を受けたため、シーズン全休となってしまった[2]。そして、シーズン終了後の同年12月21日にフリーエージェント(FA)となった。

2004年は3月頃にマイアミ大学ワークアウトを行い、MLBの複数球団のスカウト達の前で投球を披露。そこで古巣のスカウトの目に留まり、同年3月12日に1年50万ドル(先発1回につき4万5000ドルのボーナス付き)の契約を結び、ヤンキース復帰を果たした。しかし前年の手術から右肩が回復しておらず、契約直後の3月16日からのDL入りを余儀なくされ、ほぼ前半戦を棒に振った。そして、7月11日にMLB復帰を果たした。最終的には故障の影響で15登板に終わったものの、安定した成績を残し、チームのワンゲームプレーオフ進出に大いに貢献した。この活躍が評価され、シーズン終了後のMLB選手会によるプレイヤーズ・チョイス・アワードのカムバック選手に選ばれた。11月2日にFAとなった。

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(1.1.キューバ時代 - 亡命)
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(1.3.ワークアウトの真実)
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出典:Wikipedia
2018/09/08 16:31
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