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エドワード2世 (イングランド王)
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1.生涯
1.5.ディスペンサー父子の台頭
一方宮廷ではヒュー・ル・ディスペンサー(大ディスペンサー)とその同名の息子(小ディスペンサー)の親子がエドワード2世の寵愛を得て台頭していた[22]

ディスペンサー親子の寵愛も諸侯の反発を買い、ディスペンサー親子は諸侯の圧力で1321年に国外追放処分となったが、その翌年には国王が呼び戻した。これを知ったランカスター伯ら諸侯はディスペンサー追放を求めて挙兵するが、ペンブルック伯らランカスター伯と対立する諸侯が参加しなかった。結局ランカスター伯は1322年3月のバラブリッジの戦いで王軍に敗北し、捕らえられて処刑された[23][24]

このバラブリッジの戦いの勝利により宮廷勢力(エドワード2世とディスペンサー父子)は権力を回復させ、1322年ヨークでの議会では先の改革勅令を全体として廃止できた[25]

小ディスペンサーは実務嫌いのエドワード2世から実務を任されて、その恩賞で領地をどんどん拡大させ、さらに賄賂で私腹を肥やした[25]。大ディスペンサーもウィンチェスター伯英語版に叙されて厚遇された[22]

以降5年ほどディスペンサー父子が国政を主導していくが、この間ディスペンサー父子の専横への怨嗟はどんどん高まっていた[25]。特にウェールズにおける所領の拡大はウェールズ辺境諸侯英語版の強い反発を招いた。また1324年9月には王妃イザベラの所領が没収されたことでディスペンサー親子は王妃も敵に回すことになった(この年ガスコーニュで百年戦争の前振れのサン=サルド戦争英語版が発生し、フランス人の王妃の所領がフランス軍の橋頭保にされる恐れがあるとして没収に踏み切った)[25]

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(1.4.改革勅令とギャヴィストンの死)
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(1.6.王妃のクーデタで失脚)
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出典:Wikipedia
2020/01/14 01:30
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