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エルサレム攻囲戦 (1099年)
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3.エルサレム攻囲戦
3.1.聖都への到達
スンニ派テュルク系のセルジューク朝パレスチナやシリアを争奪していたエジプトシーア派王朝ファーティマ朝は、対セルジューク朝の同盟を結ぶため十字軍と和平交渉をすべく、アンティオキアやアルカを包囲する十字軍の陣営に再三使者を送ってはシリア分割占領などを持ちかけていた。その間の1098年夏、ファーティマ朝はアンティオキア陥落によるセルジューク朝の弱体化に乗じ、セルジューク朝系のアルトゥク家からエルサレム市を奪還している。しかし十字軍はあくまでエルサレムへの進軍を主張し、ファーティマ朝の申し入れを無視した。ファーティマ朝のエルサレム司令官であったイフティハール・アッ=ダウラ(Iftikhar ad-Daula)はパレスチナへの進軍を再開した十字軍に不安を抱き、十字軍に呼応する恐れのあるキリスト教徒市民の追放、郊外の井戸を十字軍に使わせないための毒物の投入、前年の攻囲戦により破壊された城壁の修理、食料の備蓄などを行っている[1]

5月13日、十字軍のうちレーモンの率いる一団はトリポリに到着し、市の支配者ジャラール・アル=ムルクは馬や食糧などを与えて十字軍を送り出した。年代記『ゲスタ・フランコルム』(Gesta Francorum, 『フランク人の事蹟』、著者の名は不明)によれば、彼はファーティマ朝からエルサレムを取り返してくれたらキリスト教徒に改宗してもよいとまで言ったという。十字軍は海岸沿いに進み、5月19日ベイルート5月23日ティールと歓待を受けながら南下し、ナフル・アル=カラブ(犬の川)を越えてついにファーティマ朝領内に入った。ヤッファから内陸に折れた後、6月3日には住民が退散して無人となったラムラに入った。十字軍はここでエルサレムに入る前に、ラムラ近くのリッダ(Lydda, 聖書ではロード)生まれの聖人で、十字軍内でも人気の高かった聖ゲオルギウスを記念し、当地の聖ゲオルギウス聖堂でカトリックのラムラ=リッダ司教座を立てている。一方内陸を進むゴドフロワは6月6日、タンクレードとガストンにベツレヘムを占領するよう指示し、タンクレードは自らの軍旗を征服したベツレヘムの生誕教会に掲げた。

こうして6月7日、十字軍はついにエルサレムに到達した。兵士らの多くは、長い戦いの旅の末にようやく見ることのできた聖都に涙したという。

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出典:Wikipedia
2019/06/25 02:30
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