エルヴィス・プレスリー
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2.経歴
2.2.サン・レコード
1953年の夏にプレスリーはメンフィスサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード “My Happiness”“That’s When Your Heartaches Begin” であった。

サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてプレスリーを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア[14]、ビル・ブラックと共にプレスリーを売り出すこととした。プレスリーは最初「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから、(彼に批判的な人々から)「Elvis the Pelvis骨盤のエルヴィス)」と呼ばれた。

1954年7月5日のリハーサル休憩中にプレスリーは “That’s All Right, Mama” [15]をいじくり始め、サムはプレスリーが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に “Blue Moon of Kentucky” が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。

また、公演旅行はプレスリーの評判をテネシー中に広げることとなった。しかし「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ」との言葉も残っている。また、プレスリーがツアーをはじめた時、ツアー先の白人プロモーターから「黒人娘(コーラスを務めた“ザ・スウィート・インスピレーションズ”のことを言ったものだが、実際にはもっとひどい差別的な言い方をされた)は連れてこないでくれ」と連絡を受けたことが度々あった。プレスリーは「彼女たちを来させないなら僕も行かない」と言い張り、向こうが謝罪し多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。

このエピソードの様に、公民権法が施行される前の1950年代のアメリカでは、音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っていた。当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲をパット・ブーンらの白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。たとえ同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが常識だった。プレスリーは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。

サンとの契約下でプレスリーは5枚のシングルをリリースした。

That’s All Right / Blue Moon Of Kentucky” - Sun 209, 1954年7月19日
“Good Rockin’ Tonight / I Don’t Care if the Sun Don't Shine” - Sun 210, 1954年9月25日
“Milkcow Blues Boogie / You’re A Heartbreaker” - Sun 215, 1954年12月28日
“Baby Let’s Play House / I’m Left, You’re Right, She’s Gone” - Sun 217, 1955年4月10日
“Mystery Train / I Forgot To Remember To Forget” - Sun 223, 1955年8月6日
「ザッツ・オールライト」はビッグボーイ・クルーダップ(アーサー・クルーダップ)のカバーである。多くはリズム・アンド・ブルース、またはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1分55秒、最長のもので2分38秒である。

1955年8月18日にプレスリーの両親はプロデューサーのトム・パーカー(通称・パーカー大佐)との契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。

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(2.1.生い立ち)
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(2.3.RCAとの契約)
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出典:Wikipedia
2019/11/21 10:31
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