ウクライナ
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7.歴史
7.4.近代
18世紀から19世紀にかけて、ロシア帝国オーストリア帝国によるウクライナの抑圧政策と全ヨーロッパで流行したロマン主義民族主義の高まりにより、ウクライナ人の民族運動も盛んになった。1798年に、イヴァン・コトリャレーウシキーによるコサック国家の再建を謳う叙事詩エネイーダ』が出版された。この作品は、現代ウクライナ語の口語で書かれた初めての作品であった一方、ウクライナの民族的ルネサンスの序幕でもあった[45]1806年にハルキウ大学が設立されると、ウクライナの知識人によるウクライナの歴史・文化・民俗に関する研究が活発的に行われるようになった[46]1825年頃、近世のコサック軍記の編集物として『ルーシ人の歴史』が著され、ウクライナの文化人、歴史学者、作家などに大きな影響を与えた[46]ウクライナ語の完成が急がれたのもこの時期で、ロシア語正書法、ポーランド語正書法、そして独自の正書法など様々なものが生み出されたが、最終的にはタラス・シェウチェンコのまとめたウクライナ語文法が現代ウクライナ語の基礎となった[47]

ロシア帝国は常にウクライナにおけるロシア化政策を実行しており、なお、ウクライナ語は当時はロシア語の一方言「小ロシア語」として扱われ、独自の言語としては公認されていなかった。1863年に文学作品を除きウクライナ語の書物の出版・流通を禁止するヴァルーエフ指令が出され、1873年にウクライナ語の書物の出版・流通・輸入を禁止するエムス法が定められた[48]

大不況期のウクライナ経済は露仏同盟の素地となった。地元の石油王(Ephrussi family)がロスチャイルドパリ家と家族になって、ウクライナにベルギー国立銀行のコッカリル(Cockerill)とソジェンが進出してきたのである。

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出典:Wikipedia
2019/05/21 10:30
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