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ウォーターゲート事件
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2.事件の経緯
2.9.補佐官と司法長官の辞任、そして特別検察官の指名へ
1973年3月までホワイトハウスの事件に対する対応は「一切関係はない」であった。この時まで裁判所であっても上院特別調査委員会であっても行政特権を理由にスタッフの証言を拒否してきた[25]。しかし、マッコードの手紙と上院での爆弾証言を契機に国民や議会からも批判が高まり、3月30日に大統領は捜査に協力するように命じた。その9日前の3月21日に大統領は密かにホワイトハウス内部の徹底調査に乗り出して[26]、4月17日に記者団に「その調査で新たな進展があり、事件捜査には全面的に協力して、いかなるもみ消し工作も強く非難する」と語った。この発表は裏返せば1973年3月21日まで事件の詳細は知らず、ホワイトハウスは無関係と言ってきたが、内部調査で新しい事実が分かった、ということである。しかし真実は違うことを米国民は1年後に知ることになる。

また前年8月29日にニクソン大統領はディーン法律顧問の調査の結果、ホワイトハウス内部に事件に関係した者はいない、と断言していたが、これにディーン自身が「驚き、血の気がひいていくような気持ちになった。大統領はウソを言っている。」と1973年5月に『ニューズウィーク』誌記者に語っている[27][注釈 17]。この一件はディーンがやがてニクソンと決定的に袂を分かつ遠因となった。ディーンはマッコード発言から4週間後の4月19日に「私を身代わりにしようとする動きがある」と言明してホワイトハウス内部が大混乱となる。あわせて翌20日にニューヨーク・タイムズが「盗聴計画の共同謀議はミッチェル、ディーン、マグルーダー、リデイによって1972年1月から3月の間に3回行われた」とスクープして、さらに21日には「ディーンが犯人らに口止め料を払った」と報じた。実はこの数日前の4月16日に、ディーンは大統領からもみ消し工作を認めた辞表の署名を求められて拒否していた[28]。そして、法律顧問を解雇された後の1973年6月25日の上院特別調査委員会で、ディーンは「ニクソン大統領はもみ消し工作を知っていた」と証言するまでに至った。

この後1973年4月30日にニクソンは、彼がもっとも頼りにしているハルデマンとアーリックマン両補佐官の辞任を余儀なくされた。加えて、ジョン・ディーン法律顧問が解雇される。これは、ディーンが上院の捜査官と独自の取引をしたことでニクソン自身にとって非常に不利な証人になる恐れを警戒したものであった。同日、司法長官をクラインディーストからエリオット・L・リチャードソンに代え、彼に特別検察官英語版を指名する権限を与えた。これに基づき5月18日に、リチャードソンは特別検察官にアーチボルド・コックスを指名。コックスがリベラルハーバード大学の教授であり、政敵ケネディの司法次官であったことから、ニクソンは恐れた。

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出典:Wikipedia
2020/03/19 20:31
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