ウマイヤ朝
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2.歴史
2.3.全盛期:アブドゥルマリクの時代
アブドゥルマリクの時代には、アラビア語の公用化とアラブ貨幣の発行により、中央集権化が進んだ。アッズバイル討伐で功績をなしたハッジャージュがクーファ総督に任命された。ハッジャージュのイラク統治は厳しく、イラク社会の治安は一定度、回復したと考えられる[6]。ハッジャージュは、反ウマイヤ家のイラクを平定後、クタイバ・イブン=ムスリムを東方遠征の司令官に任命した[7]。クタイバは、ブハラサマルカンドを征服し、フェルガナ地方まで進出、中央アジアにイスラームが広がるもととなった[7](トランスオクシアナ征服)。

一方、西では709年までにマグリブ(北アフリカ)を東ローマ帝国から奪った(マグリブ征服)。将軍ムーサー=イブン・ヌサイールは、イフリーキヤカイラワーンを拠点に、ベルベル人の住むモロッコを平定し[7]、ムーサー配下のターリク・イブン・ズィヤードが、イベリア半島に進出して西ゴート王国を滅ぼした(グアダレーテの戦い)。ピレネー山脈を越えフランク王国領内に入ると、フランク王国の迎撃軍と衝突してトゥール・ポワティエ間の戦いとなったが、アル・ガーフィキーが戦死したウマイヤ軍は退却し、ピレネー山脈の南側まで戻った。一方、674年から東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを連年包囲したが攻略できず、キリスト教勢力に対する攻勢は止まった。

この後、長い間地中海はイスラームの海となる。こうして東へ西へとウマイヤ朝は拡大してゆき、ワリード1世の治世である8世紀初頭に最大領域となった。

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出典:Wikipedia
2019/12/08 12:30
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