ウマイヤ朝
▼人気記事ランキング
2.歴史
2.1.草創期:ムアーウィヤの時代
630年メッカの指導者として預言者ムハンマドと対立したウマイヤ家の当主アブー・スフヤーン英語版は、メッカ市民に抵抗を止めさせムスリム軍に降服してメッカの無血開城を導き、ムスリムとなってムハンマドに従った。アブー・スフヤーンはその後のムハンマドの戦役にいくつか参加し、息子のヤズィード英語版ムアーウィヤはムハンマドの側近の書記として近侍し活躍した。

634年正統カリフアブー・バクルの時代になって対東ローマ戦線におけるシリア方面軍司令のひとりとしてヤズィードが派遣され、ムアーウィヤもこれに同行したが、639年にシリア一帯で流行したという悪疫によって先任のシリア総督アブー・ウバイダらシリア方面軍の将卒の多くが病死し、次代の正統カリフ・ウマルはまずヤズィードに次代総督を任せた。しかし、同年のカエサリア遠征中にそのヤズィードもダマスクスで病死し、ウマルはカエサリアの包囲戦を任されていた弟のムアーウィヤに改めてシリア総督職を命じた。

656年に同じウマイヤ家の長老であった第3代カリフ・ウスマーンメディナでの暴動で殺害された。ムアーウィヤはそれの責任と血族としての報復の権利を求めて、クーファで第4代カリフに即位したアリーと対立し、スィッフィーンの戦いなど軍事衝突にまで発展した。661年、ムアーウィヤはアリーがハワーリジュ派によって暗殺されたことによって、イスラーム世界唯一のカリフとなり、ダマスクスにて忠誠の誓い(バイア)を受けて正式にカリフとして承認され、ウマイヤ朝を創始した。

ムアーウィヤは、正統カリフ時代より続いていた大征服活動を展開していった。攻撃対象はサーサーン朝との抗争で衰弱していた東ローマ帝国であった。

[4]前ページ
(1.概要)
[6]次ページ
(2.2.第二次内乱)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2020/01/27 00:30
ソ人気記事ランキング
2020/01/29 更新
 1位日本
 2位唐田えりか
 3位少年誘拐ホルマリン漬け事件
 4位東出昌大
 5位徳勝龍誠
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant