インド
▼人気記事ランキング
4.歴史
4.1.ヴェーダ時代からラージプート時代まで
紀元前2600年頃から前1800年頃までの間にインダス川流域にインダス文明が栄えた。前1500年頃にインド・アーリア人トリツ族バラタ族プール族等)がパンジャーブ地方に移住。後にガンジス川流域の先住民ドラヴィダ人を支配して定住生活に入った。インド・アーリア人は、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度社会(カースト制度)に基づく社会を形成し、それが今日に至るまでのインド社会を規定している。インド・アーリア人の中でも特にバラタ族の名称「バーラタ(????)」は、インドの正式名称(ヒンディー語: ???? ???????, バーラト共和国)に使われており、インドは「バラタ族の国」を正統とする歴史観を表明している。

前6世紀には十六大国が栄えたが、紀元前521年頃に始まったアケメネス朝ダレイオス1世によるインド遠征で敗れ、パンジャブシンドガンダーラを失った。前5世紀に釈迦が仏教を説いた。紀元前330年頃、アレクサンドロス3世の東方遠征では、インド北西部のパンジャーブで行われたヒュダスペス河畔の戦いパウラヴァ族が敗北したものの、アレクサンドロス軍の損害も大きく、マケドニア王国は撤退していった。撤退の際も当時の現地の住民であるマッロイ人の征服が行われた。(マッロイ戦役紀元前317年チャンドラグプタによってパータリプトラサンスクリット語: ???????????、現在のパトナ)を都とする最初の統一国家であるマウリヤ朝マガダ国が成立し、紀元前305年頃にディアドコイ戦争中のセレウコス朝セレウコス1世からインダス川流域やバクトリア南部の領土を取り戻した。紀元前265年頃、カリンガ戦争カリンガ国(現オリッサ州)を併合。この頃、初期仏教の根本分裂が起った。紀元前232年頃、アショーカ王が死去すると、マウリヤ朝は分裂し、北インドは混乱期に入った。

ギリシア系エジプト人商人が著した『エリュトゥラー海案内記』によれば、1世紀にはデカン高原サータヴァーハナ朝ローマ帝国との季節風交易で繁栄(海のシルクロード)。3世紀後半にタミル系のパッラヴァ朝、4世紀にデカン高原のカダンバ朝が興り、インドネシアのクタイ王国タルマヌガラ王国に影響を及ぼした。

これらの古代王朝の後、5世紀に、グプタ朝北インドを統一した。サンスクリット文学が盛んになる一方、アジャンター石窟エローラ石窟群などの優れた仏教美術が生み出された。5世紀から始まったエフタルのインド北西部への侵入は、ミヒラクラの治世に最高潮に達した。仏教弾圧でグプタ朝は衰退し、550年頃に滅亡した。7世紀前半頃、玄奘三蔵ヴァルダナ朝および前期チャールキヤ朝を訪れ、ナーランダ大学で学び、657部の仏教経典を中国()へ持ち帰った。7世紀後半にヴァルダナ朝が滅ぶと、8世紀後半からはデカンのラージプート王朝のラーシュトラクータ朝、北西インドのプラティーハーラ朝ベンガルビハール地方のパーラ朝が分立した。パーラ朝が仏教を保護してパハルプールの仏教寺院(現在はバングラデシュ領内)が建設され、近隣諸国のパガン仏教寺院アンコール仏教寺院ボロブドゥール仏教寺院の建設に影響を与えた。日本でも同時期に東大寺が建立された。10世紀からラージプート王朝のチャンデーラ朝カジュラーホーを建設した。

[4]前ページ
(4.歴史)
[6]次ページ
(4.2.北インドのイスラム化と南インドのヒンドゥー王朝)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/09/07 22:00
ソ人気記事ランキング
2019/09/20 更新
 1位日本
 2位渡る世間は鬼ばかりの登場人物
 3位熊谷連続殺人事件
 4位9月19日
 5位逆鉾昭廣
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant